liberdade.com

「liberdade」(リベルダージ)とはポルトガル語で自由、独立を意味します。インターネットの中での自由、独立、自治。
また、リベルダージにはもう一つの意味が付加されています。
ブラジルはサンパウロのリベルダージ地区。ここには日系移民の人がたくさん住んでおり、リベルダージは日本人街を意味します。
リベルダージは日本人街から、韓国人、中国人を含んで東洋人街へ変貌し、様々な人種が溶けあうサンパウロの一構成色となりつつあります。
日本という核が解けて世界に融和する。しかし、日本という要素がなくなるとは思いません。世界を構成するのに不可欠な一つの色として存在するでしょう。
融和と差異。世界を彷徨っていると、この相反する二つの言葉が頭に浮かびました。インターネットという国境なき空間で、僕が見た世界を伝えて行ければと思っています。

田崎健太

2012.01.26 up

『週刊田崎』 更新
『仕事近況』
●『フォトギャラリー』

キューバ 2006
トカンチンス 2002
レシフェ 2002
カーニバル 2002
キューバ 2001
 
『偶然完全 勝新太郎伝』(表紙) 偶然完全 勝新太郎伝 2011年12月2日発売

田崎健太 / 講談社 1995円(税込)

ぼくは勝新太郎の最後の「弟子」だった。ただ、ぼくは役者でも映画関係者でもない。三味線や長唄を教わったわけでもない。いわば、「 」(括弧)つきの弟子だ。
かつて、勝は週刊誌で人生相談を連載しており、ぼくはその担当編集者だった。週一回、二ページの連載にもかかわらず、ほぼ毎日彼のところに通った時期もあった。
いつもこんな風だ。
昼前に彼の自宅で待ち合わせ、昼食に出かける。山王下の日枝神社近くにあった蕎麦屋が多かった 。
店に入ると、ビールと一緒にかき揚げや板わさを頼んだ。白木のテーブルに運ばれてきた黄金色をしたかき揚げを、箸で潰して分けやすくすると「食べな」と、ぼくに勧めた。揚げたてのかき揚げは 、口の中に入れると香ばしい味がした。当時、二十代半ばだったぼくにとって、昼間から蕎麦屋で酒を飲むのは、大人の世界を覗いたような気になった。
ざる蕎麦には、日本酒を掛けてほぐすのが勝の食べ方だった。初めて一緒に蕎麦を食べた時、「ち ょっと待て、そこまでだ」と箸を止めさせられた。ぼくはつゆをつけすぎるというのだ。「しっぽのちょっとだけ、浸けるんだ」と言うと、派手に音を立てて蕎麦を吸い込んで見せた。まるで芝居の一 場面だった。
(中略)
勝は不当に軽んじられていると思う。
代表作の『座頭市』の映画は全部で二六本作られた。これは渥美清の『男はつらいよ』、三益愛子 の『母もの』、森繁久弥の『社長』シリーズに続く数である。『座頭市』と同時期に、勝は『悪名』 と『兵隊やくざ』シリーズを持っていた。悪名は十六本、兵隊やくざは九本、それぞれ製作されてい る。こんな俳優は他にいない。
世界を席巻した香港映画に勝は多大な影響を与えている。ブルース・リーは世界的に名前を知られ る前、勝を訪ねている。尊敬する勝の前で、彼は直立不動だった。椅子を勧められても、座らなかっ たという。ジャッキー・チェンは映画の中で、座頭市の物真似をした。
クエンティン・タランティーノが『パルプフィクション』の試写会で来日したとき、「ずっと会い たかった」と感激した表情で勝の手を握った姿をぼくは目の当たりにしている。ぼくがキューバを旅した時、誰もが市のことを知っていることに驚いた。フィデル・カストロは座頭市の熱烈なファンで 、勝はキューバに招かれたこともあった。
ところが、日本では座頭市さえ危うい。
年若い担当編集者と座頭市の話をしたことがあった。その編集者は、「座頭市といえば(北野)武 さんですよね」とさらりと言った。
世間では勝は忘れられつつあるのかもしれない。そんな気持ちに後押しされて、勝のことを改めて 調べ始めた。
短い期間とはいえ、ぼくは濃厚な時間を過ごし、様々な話を聞いたつもりだった。それはあくまで も、つもりだった。知らない話が次々と出てきた。
勝プロダクション倒産の原因は、巷で言われているように映画やテレビ番組の製作費超過や派手 な遊興費だけではなかったこと、モハメッド・アリのドキュメンタリー映画の失敗、アヘン事件、昭和史 の一つの謎であるロシア船ナシモフ引き揚げに関する話、借金の一方、貸した金も多数あったこと、 最後の座頭市を孤独な状態で作っていたこと、そして本当に優しい男であったこと――。
ぼくは思った。この生き様こそ、勝の最大の作品ではないか、と。
最後の「弟子」として、ぼくなりに勝の人生を書いてみることにした。それは、本意ならずも裏切 ることになってしまった、「弟子」としての贖罪でもあった――。
(『偶然完全 勝新太郎伝』 エピ ローグより抜粋)