2001年3月。大統領選挙を取材するため、ペルーの首都リマにいた僕は、パラグアイのクラブチーム、セロ・ポルテーニョの一員としてリマに訪れていた広山選手と初めて会った。広山選手はこの年の一月からセロ・ポルテーニョにレンタル移籍していた。
彼は大人しい印象のサッカー選手で、混沌とした南米大陸には不似合いだった。どうして南米行きを選んだのだろうと、僕は興味を持ったのだ。
その後、パラグアイ、ブラジル。新大陸から旧大陸へと舞台を移し、ポルトガル、フランス、二年半以上に渡って、彼のことを追いかけることになった。
今や有能なサッカー選手にとって国外に出ていくことは当たり前のことで、そうした意味で彼は特別な存在ではない。
ただ、彼の場合、国外に出た期間すべて順風満帆だったわけではない。パラグアイでは評価を得たが、その後は厳しい時間を過ごした。選手登録の関係、怪我でピッチに立つことのできなかった一年間もある。
そもそも収入面から考えれば、パラグアイのクラブに移籍するのではなく、日本に留まったほうが良かったはずだった。選手としての価値を上げたければ、代表に入ることが一番の近道で、その可能性を高くするには鹿島や磐田といったクラブに移籍するという手もあった。十七才の時から各年代の代表に入っていた彼にとって有利な移籍先を探すことは困難ではなかったはずだ。そうすれば、数千万円の年俸を十年は得られることができた。
しかし、彼は大幅な収入減を受け入れても、日本の外に踏み出すことを決心した。
自分の知らない世界が広がっている。それを体験しないまま、自分の人生が終わることを惜しいと思ったのだ。
二年半の間には苦しい時もあったろうが、彼から一度も後悔の言葉を聞いたことはなかった。真っ当である人間が少なくなったと思わざるを得ない今の世の中で、彼はいつも背筋を伸ばして生きていたという印象がある。
この本は、一人のサッカー選手が国外で成長した物語であるのはもちろんだが、それ以上に同時代に生きる一人の男の生き様を描いたつもりだ。
その試みが成功しているかどうかは本を読んでくれた人の判断に任せるしかない。ただ、この本から、何かを感じ、力を得てくれる人が一人でもいてくれれば嬉しいと思っている。
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