週刊田崎
   
     
 
『カストロのみた夢』
「週刊現代」(講談社)2001.10.6 発売号掲載

強い太陽の日差し、青い青い海。嬌声をあげて海に飛び込む、はち切れんばかりの女の子たち−−。
ハバナの近くの海岸は、夏の日曜日ともなると海水浴客で埋まる。そんな海岸がこの国には至る所に存在する。
四十数年前、フィデル・カストロたちはこの国の貧しき民を救うべく、革命を起こし国を変えた。
教育と医療。この国の非識字率は2パーセント以下。ラテンアメリカでは突出した数字である。大学まで教育は無料。
医療技術も進んでいる。例えば、アルゼンチンの元サッカー選手マラドーナはこの国でドラッグ中毒の治療を受けている。
また、矜持の国である。決して裕福な国ではないが、この国はラテンアメリカを初めとする世界各国に医療派遣を厭わない。貧しき第三世界の国々から、学生を受け入れ教育を施す。

しかし、この国も一皮むけば別の顔を出す。
59年の革命政権樹立以来革命を踏みつぶそうとするアメリカ合衆国に対抗し、フィデル・カストロのキューバ政府は社会主義を選び、ソビエトに傾倒する。
キューバは、他の旧植民地だった国と同じように、旧宗主国から必要とされる産業、それも一次産品しか発達しなかった。キューバの場合、輸出できる商品は、天然資源を除けば砂糖など数えるほどしかない。ソビエトはその砂糖を市場価格以上で購入し、アメリカ合衆国の経済封鎖下のキューバを援助した。結果的には、その過保護により、いびつな経済構造が継続することとなった。
91年、そのソビエトが崩壊。砂糖価格は下落し、キューバ経済は危機を迎える。
変わらぬ経済封鎖の中、キューバが新たな主幹産業として選んだのは観光だった。観光は確かにドルを生み出すが、国家は完璧に管理はできない。ドルを持つ者たちと持たざる者、二つの階級が生まれている。

その象徴がドルショップの存在だ。
この国の店には二種類ある。ドルしか使えないドルショップと、そうでない店。この国の通貨はキューバ・ペソ。一ドルが約22ペソ。人々の平均月収は、200ペソ強、10ドルほどだ。にも関わらず、ハバナのドルショップに行くと、1000ドルの値札がついた家具が並べられており、それを吟味する人がいる。 四十二年前、夢と理想を追いかけてフィデル・カストロが作った国の亀裂は大きくなっている。

農村で出会った男は、こう言った。
「毎朝七時に起きて畑に出ている。土日は休みだけれど、やることがない。給料はみんなペソだよ。食べるだけで精一杯だ。金なんか残りやしねぇ。音楽? そんなものはどうでもいい。ビールを飲んで酔っぱらう、それが一番楽しい。この国は、お前たちにとっては素晴らしい国に思えるかもしれない。でも、俺たちにとっては楽園じゃないのさ」
そう、彼は憂鬱な楽園の民なのである。

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