週刊田崎
   
     
 

ペルー大統領選を突き動かすパワー「インターネット世代」
『月刊ニューメディア』(ニューメディア)7月号掲載
テロリズムを撲滅するために、強力かつ独裁的な力を必要とした。
テロリズムが終焉したにも関わらず力は継続し、暴走−−。10年に渡る長期政権は膿んでいたのだ。フジモリ前大統領騒動を端的に言い表すとこうなる。

4月に行われた大統領選挙は、どの候補も過半数を取ることができなかった。
そのため、7月に上位二人による決選投票が行われる。上位二人、一人は反フジモリを掲げたアレハンドロ・トレド、もう一人は大統領選一ヶ月前までは泡沫候補だったアラン・ガルシア元大統領。85年大統領になったアランは、経済政策を誤りハイパーインフレを引き起こす。政府は弱体化し、センデロ・ルミノソやMRTA(96年に日本大使公邸事件を起こす)などテロリストが跋扈した。

90年にフジモリ大統領誕生後、アランは贈賄の罪で起訴され、コロンビアに政治亡命。フジモリが日本に逃亡した今年1月、ペルーに帰国、大統領選に名乗りをあげたのだ。その彼が、決選投票では勝利を収めるだろうと言われている。

アランの支持層は、歴史ある左翼政党アプラの支持者と、もう一つ、若い層だ。
「GENERACION INTERNET」(インターネット世代へ)
アランのポスターに大きく書かれた文字。アランは、自分の大統領時代を知らない若年層を狙った選挙活動を行い、支持を得た。インターネット世代という言葉には「将来ある若年層」という口当たりのいい意味が含まれている。

「ペルーにインターネットが持ち込まれたのは、1994年のことです。その後、爆発的に普及が進みました。最近の調査によると全人口の30%の人がインターネットを使用しています。その内70%は、自宅にパソコンを持たず、街のインターネットカフェで接続しています。現在のインターネットカフェはISDN回線を使用したものです。もちろん、光ファイバーなどブロードバンドの整備も予定はされています。もちろん、この国では将来のことは明言できませんが」 と語るのは、ペルーの高級紙「エル・コメルシオ」のIT部門を担当するファン・カルロス・ルファン氏。

確かに、首都リマでは街のあちこちにインターネットカフェが目につく。その数はリマだけで千以上とも言われている。リマの中心地、大統領府に面したアルマス広場から出ている石畳のウニオン通りには商店が並び、終日人で溢れる。ウニオン通りの一角では、少年少女が紙片を通行人に渡している。
「インテル・ネット(インター・ネット)、インテル・ネット」 呪文のように唱え、争って客を取る。

この一角はインターネットカフェが軒を連ねている。一軒で話を聞いた。
「欧米からの旅行者が来て、メールの送受信に使っている。ペルー人も同じで、メールの用途が多い。後は、チャットかな。うちはインターネットを使って、国外に電話を掛けることもできる。アメリカまで一分、1.2ソル。その他の国は一分、1.5ソルだ。だいたい普通の国際電話の半分から三分の一の値段だ。ペルー人は世界中に出稼ぎにいっているから、電話の需要も多い」

この地区は、競争が激しいため、リマで最も安く、1時間あたり1ソル(1ドルが約3.5ソル)から2ソルでインターネットを使用することができる。住宅地でも3ソルから4ソルだという。 一般的にはペルーのインターネット環境は安く提供されているといわれている。 ラテンアメリカ諸国のプロバイダーとの契約料金は平均月17ドルから25ドルだが、ペルーはその半額以下だ。
イキトスなどアマゾン地帯の中の街でも、インターネットカフェは見かけた。 麻薬地帯に近いタラポトという街では、MRTAの元構成員がインターネットカフェを経営していた。ペルーにとってITは身近で不可欠なものになりつつある。

リマで知り合った一人、広東出身の中国系ペルー人の、ホルヘはこう言った。
「昼間は日系企業で働いて、夜は頼まれてコンピュータを直している。この間は中華街で新しくオープンするレストランのシステムを作った。コンピュータの知識を持った友人の多くは、アメリカに行ってしまった。僕も誘われている。アメリカはあまり好きじゃないから、迷っているんだ」

フジモリ前大統領が一番重視したのは、教育だった。僻地にも学校を作ること。 その恩恵を被った「インターネット世代」が出て来て、この国も変わっていく−−。
しかし、この国では一筋縄ではいかない。 ペルーの抱える問題の根には、徹底した階級がある。スペインによる植民地支配が作った社会構造、大多数の貧しきものから少数の富めるものが搾取するという構造。政財界、軍部、マスコミ、ペルーを握る寡頭支配者は、みな白か白に近い肌の色をしている。その下に褐色の肌をした人々が連なっている。

以下は、OSIPTEL(通信に関する民間投資監督組織)の資料による。 ペルーでは、所得でAからEの五つの階層に分けることが多い。2000年2月、リマで行われた調査によると、一番上のA層では、パソコン所有は80%、インターネット使用は54%となっている。B層では、パソコン所有が39%、インターネット使用が8%。C層ではパソコン所有5%、インターネットは0%。D、E層はパソコン所有、インターネット使用とも0%。 人口比率でいうならば、A層は4.3%、B層は15.3%。C層32.4%、DとE層で48%。
つまり、下から80%の人々はインターネット使用をしていない。いや、できないのだ。
ペルーの昨年の平均月収は、事務職で約770ドル、それ以外の労働者は240ドル。 それを考えると、インターネットカフェの料金も決して安いとはいえないかもしれない。

「残念ながら、インターネットを使う人間とそうでない人間の差は大きくなるばかりだ」
前出のファン・カルロス・ルファン氏は嘆いた。 確かに情報技術により、人は楽々と国境を越えることができるようになった。 しかし、情報技術を扱えない人間にとっては何も変わっていない。他が変わった分だけ後退しているともいえる。

少し歴史を振り返ろう。フジモリはどうして強力な力を必要としたのか。
70年代、近代化の遅れたペルーでは、インディオたちは、男の子よりも女の子どもを欲しがった。理由は簡単だ。器量のいい娘ならば、大土地所有者の妾になれるからだ。 それが貧乏な境遇から抜け出す唯一の希望だった。
屈辱的な状況に怒りを感じたインテリたちは左翼ゲリラを組織した。思想に燃えた左翼ゲリラは時間が経つうち、組織維持のため、殺戮を繰り返し、最後には麻薬組織と手を組んだ。そこでフジモリが登場した。

ペルーは、形を変えて七十年代に戻ったのかもしれない、と思う。ただ、怒りを感じて銃を取った70年代の男たちと、国に見切りをつけてアメリカ合衆国に旅立つ2001年の男たち。前者の結末について僕たちは知っている。後者の結末は、どうなるのだろうか。                                                                          〜おわり〜

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