週刊田崎
   
     
 

乱戦ペルー大統領選のかなたに「フジモリ再登場」が見える
SAPIO(小学館)「WORLD WATCH」2001.4.25号掲載
ペルーの人は政治が好きだ、と思う。タクシーに乗れば「大統領は誰がいいと思うか?」という話になり、食堂や酒場ではビール片手に口角泡を飛ばして語る。

昨年9月、フジモリ大統領側近のモンテシーノスが国会議員を買収した瞬間を隠し撮りしたビデオが公開。景気の低迷、強権政治に疲れていたこの国はこれを機に「反フジモリ」一色で塗りつぶされた。続く11月、コロンビアで、メデジンカルテルの首領パブロ・エスコバルの弟ロベルトが、「90年の大統領選で、モンテシーノスを通じてフジモリに資金を提供した」と発言した。エスコバルの死亡から7年後という時期、ロベルト曰く「この種の取引につきもので証拠は一切ない」という曖昧な根拠にも関わらず、世界中のプレスがフジモリとコカイン・カルテルの関係を書き立てた。同月、フジモリは日本で辞任を表明する。

その後、フジモリに対する疑惑は軽く十を越える。「シンガポールの隠し口座」「ロシアからの武器口購入でリベートを得ていた」などなど。ただ、報道を吟味すると、数字が上がっているのは、国連ヘリコプターの賃貸契約のみで、これとて確固たる証拠があるものではない。

ペルーのジャーナリズムは、テロリズム、暴力と戦ってきた。ただ時に政治的、往々に主観重視、証拠軽視であることは否めない。その情緒的な反フジモリ報道を、深層で日系人の大統領を快く思っていなかった欧米メディアが増幅する。今、フジモリが強権政治を行わなければならなかった理由は忘れられている。つまり、強力なテロリズムと、軍部、財界、マスコミを操るほんの一握りの裕福な白人寡頭層の存在。
後者はまだ健在だ。

3月29日は反フジモリの急先鋒、大統領候補アレハンドロ・トレドの誕生日だった。この日、トレドの大票田であるアマゾンの街、イキトスで集会が行われた。トレドが到着した空港から集会が行われる広場まで十キロ近い沿道を埋め尽くす人、人、人。広場には二万人もの人間が集まり、トレドの演説に熱狂した。
人々はトレドの支持理由をこう語る。
「不正をしたフジモリと戦ったからさ」
今回の大統領選はペルーの人々を飽きさせることはなかった。

「アメリカ合衆国の傀儡」「隠し子認知問題」「コカイン使用疑惑」のトレド。
国外亡命から戻ってきた「セクシーな政治家」元大統領のアラン・ガルシア。
フジモリと距離を置きつつ、フジモリ支持者の票も期待する、穏健派。初の女性大統領を目指すルーデス・フローレス。
次の大統領は誰がなっても短命だと見ている知識人は多い。インカの大地を舞台にした終わりなきソープ・オペラ。観客からフジモリ登場を望む声があがるのもそう遠くないかもしれない。

(c)copyright 2001 KENTA TAZAKI All rights reserved.
produced by transvision