週刊田崎

田崎 健太 Kenta Tazakimail

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。
著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)。14年4月末に『球童 伊良部秀輝伝』(講談社)を上梓予定。
早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。『(株)Son-God-Cool』代表取締役社長として、2011年2月に後楽園ホールでのプロレス『安田忠男引退興行』をプロデュース、主催。愛車は、カワサキZ1。
twitter :@tazakikenta

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2014年4月29日

誤解を恐れずに言えば、ジャーナリズムの基本は野次馬である。何かが起こっているならば、自分の目で見たい――そうした気持ちが根底にある。サンパウロではデモが頻発していた。昨年、コンフェデ杯で問題になったように、W杯開催反対のデモの他、今年、この国では大統領選挙がある。W杯は様々な団体の現政権に対する「取引材料」になっていた。
この夜、頭の上をヘリコプターがけたたましく飛び交い、道のあちこちで火の手が上がっていた。催涙弾を打ち込む音もする。化学性の物が燃えるとき特有の、鋭く、嫌な匂いを感じながらぼくはサンパウロの街を走り回った。

サンパウロの中心地の道路は封鎖され、騒然とした空気が流れていた。

2014年4月24日

今回の取材旅行の目的は、W杯直前のブラジルを見ること、そして『PRESIDENT』の日本企業のルポだった。後者については日本出発前から準備を進めており、日本企業らしくきちんとアポが入っていた。問題は前者である。日本から連絡を入れていたのだが、この国ではあまり先の約束はあてにならない。着いてから、なのだ。ところが、連休もあって、全く連絡が着かない。電話に出ないのだ。
ある程度予想していたことではあるが、最初の週は日本から持って来た仕事を片付け、友人たちと旧交を温めることにした。

リカルドが友人のアルゼンチン人を連れてきた。ぼくの経験では、アルゼンチンで会うアルゼンチン人は嫌な奴が多いが、国外で会うアルゼンチン人はいい奴ばかりだ。今回もそれは外れることはなかった。
彼はこれからバスや船で南米大陸を一周するのだという。だいたいオートバイ乗りは旅が好きだ。今から十数年前、ぼくも同じことをやったのだよと言うと、彼は話を聞きたがった。二十代の終わり、あの旅でぼくは大きく変わった。

2014年4月18日

ブラジルへ三週間出張に行くと書くと、かなり余裕があるように感じられるかもしれない。
しかし、ブラジルへは飛行機に乗っている時間だけで片道二四時間以上、乗り換えによっては三〇時間近く掛かる。時差を考えると、それだけで三日以上が消える。そして今回は、ブラジルの連休とぶつかることが分かっていた。プライベートを大切にする、ブラジル人は日本とは比べものにならないぐらい、しっかりと休む。それどころか休みの前日からその準備に入っている場合がある。
運が悪いことに、その三週間の間に二つの連休が入っていた。実際に動けるのは二週間もないかもしれない。ただ、新著「球童 伊良部秀輝伝」があり、ここしかまとまった時間が取れなかったのだ。
ぼくがサンパウロに着いたのは、18日の早朝だった。この日は最初の連休の初日だった。街角とのバールでさえ、多くがシャッターを下ろしていた。今回の取材は厄介なものになる、と改めて思った。

いつもは車で埋まる大通りががらんとしている。

2014年4月17日

【告知】
新著『球童 伊良部秀輝伝』発売に合わせて、東京と那覇でイベントを開催します。
15日のリトルトーキョーでは、担当編集者(講談社 吉田仁氏)、装丁家(三村漢氏)、そしてフォトグラファー(岸本勉氏)との対談を通して、この作品が作り上げられるまでの裏側を語ります。
18日のB&Bでは、ロッチ・マリーンズで伊良部秀輝さんの後輩に当たる前田幸長さんと対談します。
24日は伊良部さんが産まれた沖縄でのイベントです。この本の取材をして、彼が沖縄にかなりのこだわりがあったことが分かりました。ジュンク堂では伊良部さんと沖縄、そして宮古島の話をします。

これらのイベントについては、Facebookのページを立ち上げています。B&Bについてはサイトでの予約が必須となります(リトルトーキョーとジュンク堂那覇店は予約不要ですが、人数把握のためにFacebookページで参加をクリックしてもらえるとありがたいです)。

なお、『球童 伊良部秀輝伝』のFacebookページでは、取材メモ、写真を公開していきます。ぜひ「いいね!」をお願いします。

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「球童 伊良部秀輝伝 田崎健太著」発売記念 ノンフィクション作家ナイト
【日時】
2014年5月15日(木)18:00〜(未定)
【場所】
リトルトーキョー
東京都港区愛宕1-2-1
【入場料】
2,000円予定(本代・1ドリンク込み)

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田崎健太×団野村 『球童 伊良部秀輝伝』(講談社) 刊行記念
【日時】
2014年5月18日(日)15:00〜17:00
【場所】
B&B
世田谷区北沢2-12-4 第2マツヤビル2階
【入場料】
1500円+1 drink order
(注)このイベントはB&Bウェブサイトでお申し込み下さい!

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故・伊良部秀輝氏の生地、沖縄で開催!「球童 伊良部秀輝伝」発売記念トークショー&サイン会
【日時】
2014年5月24日(日)15:00〜
【場所】
ジュンク堂書店那覇店
沖縄県那覇市牧志1-19-29 D-hana

表紙の写真は西山和明さんの撮影。西山さんとは本当に久し振りに連絡を取った。装丁はいつものように三村漢君である。

2014年4月13日

単行本はいつも最後は体力と執念の勝負である。
今回はG2での書いた原稿はあったものの、実質原稿用紙500枚を軽々超える分量を書き下ろすことになった。入稿が遅れたこともあり、校了のスケジュールはずれ込み、校正の手が入ったゲラが回ってきてから数日で戻すというきついスケジュールとなった。
水曜日の夕方に再校のゲラを受け取り、ゲラを見直し、頭が停まると仮眠、起きてまた読む――。他人から見れば些細な違いかもしれない、一字一句に拘るときりがないのだ。
昼夜ない生活が、土曜日11時まで続いた。結果として事務所に三泊泊まり込んだことになる。これまでで一番きつい校了だった。顔はむくみ、肌の張りが失われた…。まさに命を削って作った本である。 あとは五月の連休明けには全国の書店に並んでいる、この『球童 伊良部秀輝伝』(講談社)をどう読んでもらえるか――。

「球童 伊良部秀輝伝」で大切な場面となった、アラスカ州アンカレッジ。昨年九月、この街を訪れたとき、すでに冬の匂いがした。

2014年4月3日

「仕事場なので、多少散らかっていても大丈夫ですよ」
と担当ディレクターのTさんからは言われた。しかし、単行本の初校を戻した後の散らかりようは多少ではなかった。取材を終えて、昼前に事務所に着き、テレビで映されても問題ないようには戻した。
ただ――。
ふと本棚を見ると、一箇所、棚が歪んでいる。三年前の震災のとき、ぼくはブラジルにいた。一ヶ月ほどしてから帰国して、事務所に来て唖然とした。事務所は十階にあるため、揺れがひどかったのだろう、左右かから本棚が倒れて本や資料が部屋中に散らばっていたのだ。IKEAの白い本棚はバラバラになっていた。場所によってはドリルで穴を空けて、木ねじで止め、それなりの形に戻した。しかしその後の余震でいくつかの棚は再び壊れた。忙しさもあって、一つだけはそのままにしていたのだ。もう直す時間はない、そのまま取材クルーを待つことにした。
今回、取材を受けたのは、NHKの「ラストデイズ」という番組である。
亡くなった著名人をリスペクトする人間が、その足跡を追いかけて行くというドキュメンタリーである。2010年に俳優の香川照之さんが故・松田優作さんを追いかけた企画の続篇にあたる。
ぼくが取材を受けたのは、もちろん、勝新太郎さんについてだ。勝さんと同じように自ら監督も務めたことがある、俳優のオダギリジョーさんが勝さんの歩いた道を辿る。ぼくは勝さんの最後の姿を知る人間として話をさせてもらった。
いつものことであるが、勝さんの話をすることは楽しい。オダギリさんと一時間近く話し込んだ。オンエアーは、5月1日(金)22:00〜総合テレビ。どこまで使われているのか分からないが、あのディレクターとオダギリさんならば、いい番組に仕上がっていると思う。

「偶然完全」の表紙が飾られたうちの事務所。結局、本はテーブルから床に下ろすことにした

『偶然完全』  2011年12月2日発売

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