週刊田崎

田崎 健太 Kenta Tazakimail

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)。 12月に『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)を上梓。早稲田大学講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 招聘研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。創作集団『(株)Son-God-Cool』代表取締役社長。愛車は、カワサキZ1。twitter :@tazakikenta

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201102

2011年2月20日

もう二か月近く、サイトを更新していなかった。特に年末からは、本当に忙しかった。
原因は二つある。
ずっと書き下ろしていた、勝新太郎さんの単行本が予想の倍近い分量になってしまった。書いても書いても終わらず、さらに追加取材も加わってしまった。11月末には書き上がっているはずが、年が明けても終わらなかった。
そして、もう一つ。
2月4日に行われた、プロレスラー安田忠夫さんの引退興行である。
興行の二週間ほど前、ぼくは百五十万円以上の借金を被る覚悟だった。安田さんには明かさなかったが、チケットはほとんど売れていなかった。
プロレスのチケットは売れない。
興行をやる前、散々プロレスを知る人間から言われた。
でも、そう思わなかった。
例えば、ハンドボールの選手と言って、宮崎大輔の名前を知っているのは多少いるかもしれない。し かし、宮崎を除けば、誰一人として名前を挙げることはできないだう。
それに比べて、安田さんの引退試合には、曙さん、高山善廣さん、鈴木みのるさん、天龍源一郎さんに声を掛けていた。彼らの認知度は高い。チケットを売るのはそれほど困難ではないだろうと、見ていた。
ところが……。
そもそもの興行の主旨であるのだが、安田さんの渡航費用を稼ぐため、通常よりもチケットを高く設定した。不景気のせいか、高いチケットは敬遠された。
そしてさらにトラブルが頻発した。こちらが不慣れなことによる不手際もあったが、プロレス業界がどうして斜陽なのか実感した(こちらについてはいずれ詳しく書くだろう)。
とにかく自分たちが頭を下げて、一枚でも売るしかなかった。安田さんと共に猪木酒場などで、営業活動を行った。安田さんを見て感動して涙を流す人、快く買ってくれる人もいたが、不愉快な対応をされたこともあった。
やっぱり素人は駄目だ。
そういう声も聞こえた。
そんな時、ぼくは勝さんに言われた、言葉を思い出した。
「行ってはいけない道があるとする。どうしてなんだと聞いても理由は分からない。ただ、この道を行って帰ってきた人はいないという。じゃあ、行ってみよう。それが俺なんだ。行って落っこちてもいい。でも行かないと落ちるということも分からない」
十数年前、理解できなかった彼の言葉が、すっと胸の中に落ちた。
安全地帯で安穏と暮らしていては、絶対に得られないものがある。
それは仲間だった。
長南夫妻、東俊介、カメラの岸本勉、デザイナーの三村漢君、そしてぼくが借金を被るかもしれないと聞いて心配したぼくの教え子たち、早稲田のサークル、SOJ(Sports of Japan)の面々が一緒に動いてくれた。
ぼくはこの状況を少しでも楽しむことにした。

安田さんの記事が、日刊ゲンダイ、週刊プレイボーイ、週刊プロレスなどに掲載されるとチケットの問い合わせが急増した。東京スポーツ、デイリースポーツ、スポーツナビといった新聞、インターネットメディアでも取りあげられたことも大きかった。
当日、後楽園ホールには1100人以上の観客に集まり、赤字どころか、予定の金額を集めることができた。
遠い過去の成功体験にすがって現在を諦めている「プロ」よりも先入観のない「素人」は強いのだ。

2月9日、三村君の事務所『ニワノニワ』で、仲間を呼んで、ちゃんこ鍋パーティをすることにした。
安田さんが、九重部屋直伝の鶏団子のちゃんこを作ってくれた。普段はあまり飲まない日本酒を飲むと酔いがすぐに回った。あとの記憶はあまりない。
本当に楽しい会だった。

安田さんについては、2月24日発売の『スポーツグラフィック Number』のナンバーノンフィクショ ンで三十枚近い原稿を書いている。
一人の男と深く付き合うことで、見えてきたものがある。人を描くことは、様々なことを学ぶことな のだと改めて思った。

安田忠夫

2月4日、試合直後の安田さん。2日間、安田さんは打撲と筋肉痛でほとんど動けなかったほどだった。
試合は盛り上がった らしい。らしいというのは、ぼくは試合開始前に挨拶でリングに上がったあと、裏方で走り回っていた。試合はほとんど見れなかった。終わった後、何件も電話やメールが入っ た。頼み込んでチケットを買ってもらった人から、「プロレスを始めて見たけれど、楽しかった。ありがとう」と言われると涙が出そうになった。

安田忠夫

2月9日、ちゃんこ鍋パーティ。鶏団子を準備する安田さんと、その様子を写真に撮る娘のAYAMIちゃん。みんな酔ってしまい、翌日大変だったらしい。隣接する、マフィン屋さん『七曜日』に迷惑を掛けてしまった……。