週刊田崎

田崎 健太 Kenta Tazakimail

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)。 12月に『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)を上梓。早稲田大学講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 招聘研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。創作集団『(株)Son-God-Cool』代表取締役社長。愛車は、カワサキZ1。twitter :@tazakikenta

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201105

2011年7月23日

またもや、長い間webを放っていた。
最近はもっぱら、ツィッター、facebookの方には書き込みをしている。短くて、その場の気持ちを書き込めるというのは便利である。ただ、特にツィッターは140字という制限があり、どんどん言葉が流れて行ってしまうのも事実だ。たまに、足を停めるという意味で、webも悪くない。

さて、近況報告を。
五月二十一日から三日間、北海道へ出張。東京に戻った翌二十四日から六月一日までアメリカ出張に出かけていた。
北海道出張は、ウェディングドレスデザイナーの伊藤羽仁衣の取材だった。これは、『女性自身』(6月7日発売)の『シリーズ人間』という七ページの記事になっている。
羽仁衣と初めて会ったのは昨年のこと。小さな身体にエネルギーを漲らせ、初対面から一生懸命生きているというのが伝わってきた。人の悪口や泣き言を一切口にせず、応援したいと思わせる子だった 。話を聞いてみると、羽仁衣を育てた亡くなったお父さんは、ぼくと同じ京都の東山高校出身だった。
不思議な縁を感じ、描いてみたいと思った。彼女は六月の『情熱大陸』に出演しており、高視聴率だったと聞くので、目にした人も多かったろう。

アメリカはロサンゼルスに入り、元メジャーリーガーの伊良部秀輝さんに取材した。
伊良部さんはずっと気になる野球選手だった。プロ野球史上で最高の右腕の一人に数えられると思うが、どこか不完全燃焼の印象があった。噂されていた彼の生い立ちを含めて、一度話を聞いてみたいと10年以上前から思っていた。今回はその願いが叶った。
会ってみると、伊良部さんは物静かで、論理的だった。指先の感覚を重んじたピッチング理論等々、話は面白く取材は四時間近くになった。
このインタビューは、『週刊SPA!』(7月12日発売)の『エッジな人々』に掲載されている。彼がどうしてもメジャーリーグに行きたいとごねた(実際は違うのだが)原因が、伊良部さんの出自にあったという報道は全く違っていたというのを書いている。それ以外にも、Wikipediaでは、宮古島生まれになっているが、実際は沖縄市生まれ等々、彼にまつわる誤解は多く、まだまだ書き足らなかった 。いずれ彼については書くことになるだろう。

伊良部さんの撮影をした、ベニスビーチにて。

そして、西海岸のロスから東海岸のリッチモンドへ飛んだ。
この街にある、リッチモンドキッカーズというクラブに、元日本代表の広山望選手が移籍していた。
彼に異国で話を聞くのは、ペルー、パラグアイ、ブラジル、ドイツ、ポルトガル、フランス そして今度はアメリカだ。彼の取材を通して、アメリカでは全く違った、サッカー文化が育っていること を知った。これは『サッカーダイジェスト』(6月28日発売)、『日刊ゲンダイ』(7月4日発売より五回 の短期集中連載)に掲載されている。

今回はビデオカメラを持参して動画を撮影してみた。これはそれを切り出したもの。 早稲田大学の授業用にこんな映像を作ってみた。
http://www.youtube.com/watch?v=ZLaGUH1e7JI

アメリカから帰国してから、原稿執筆の他、新たな単行本企画の取材、早稲田大学でのスポーツジャ ーナリズム論の授業、暁星国際高校で講義や、先送りしていた事務処理で追われていた。少し落ち着いた七月十五日から一週間、久しぶりに沖縄に行ってきた。
主たる目的は、ブラジルで書き上げた単行本の原稿に、追加取材を加えた入稿原稿を作るためだった。
沖縄のホテルにこもって原稿に集中していると、担当から単行本のタイトルが決まったと電話があった。最初そのタイトルを聞いた時は、「えっ」と思って電話を切った。少し考えてみると、勝さんの生き方を良く表していると思うようになった。まだ明かせないが、いいタイトルである。
これは、特別に思い入れのある本である。 実際に取材を初めてもうすぐ二年になる。書いてみたいと思って、映像資料を集めた時間を入れれば、もっと長い。自分にとって代表作になるという手応えもある。
結局、沖縄では単行本の仕上げは終わらなかった。残り少し 踏ん張るしかない。

温暖化で東京も暑いが、沖縄とは暑さの質が違う。太陽の光がずっしりと重い。