週刊田崎

田崎 健太 Kenta Tazakimail

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)。 12月に『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)を上梓。早稲田大学講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 招聘研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。創作集団『(株)Son-God-Cool』代表取締役社長。愛車は、カワサキZ1。twitter :@tazakikenta

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201105

2011年12月30日

今年も残りわずか。振り返ってみると、色んなことがあった一年だった。
付き合いのある方が多く亡くなった年だった。ジョー山中さん、原田芳雄さん、松田直樹君、伊良部秀輝さん、共同通信の高橋紘さん、そしてソクラテス――。

2011年のはじめは、2月4日に後楽園ホールでやったプロレス興行に追いまくられた。
震災の起こった3月はブラジルに滞在していた。5月、北海道出張から戻ってすぐにアメリカ。ロサンゼルスで伊良部秀輝さん、リッチモンドで広山望選手に取材をした。7月末に沖縄から戻ってくると、伊良部さんが自殺してしまった…。暑い夏から秋に掛けては、時折、温泉宿に籠もりながら原稿を書き、12月2日に『偶然完全 勝新太郎伝』を上梓した。
様々な問題もあったが、最後は本を出せて終わることができたのは良かった。
いつも本が一冊出版されると資料を整理する。かなりの資料を捨てても、最低段ボール箱一杯程度は残ってしまう。今回はさらに多い。といっても、事務所に納まる分量は決まっているので、その他の資料を捨てることになった。ついでに震災の後、放っておいた本棚の修理等で丸一日とられた。
気持ちも新たに、来年春に出版が予定されている次の本に向かって走りだそう。

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講談社の人気サイト『現代ビジネス』の「立ち読み電子図書館」で『偶然完全 勝新太郎伝』が取りあげられています。

写真はサルバドールの宿の窓から。
今年の3月11日、ぼくはブラジルのポルトセグーロにいた。宿のインターネットがダウンしており、海岸沿いを散歩していると、見知らぬブラジル人から声を掛けられた。「お前の国が津波で大変なことになっているぞ」。ブラジルは地震がない。大袈裟に言っているのだと思って、「日本はここと違って、しょっちゅう津波は来ているんだ」と返した。宿に戻ってテレビを見て、言葉を失った。

2011年12月14日

先週土曜日、早稲田大学で担当している『実践スポーツジャーナリズム演習』の年内最後の授業が終わった。年明けに三回の授業を残すだけである。
この授業は今年で三年目になる。それぞれが取材して、原稿を書いていくワークショップ形式をとっている。
一年目は、全く何も予定を決めず、手探りのまま始めた。授業は毎回討論が多く、行き当たりばったりにしては面白い原稿が出てきた。
二年目の昨年は、スポーツ科学部の学生が多く、どちらかというと助けられた面が大きい。
今年は、ぼくや一緒にやっている長南先生が教える時間を増やしてみた。受け身の授業が多かったせいか、過去二年と比べると、原稿の仕上がりは遅く、出来には不安があった。
ところが……。
先週送られてきた原稿を読むと、すごくいいのだ。
大学で教えていて感じるのは、若い人間はちょっとした刺激を与えると、どんどん変わっていくということだ。だから、怖い面もあるし、責任も感じる。また、一人の人間で上手く行ったやり方が、他の人には通用しないことがある。成長速度も、速ければいいというものでもない。ゆっくりと伸びる子が大成することもあるだろう。一人一人、それぞれが違っていることを改めて感じる。

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昨日発売の『アサヒ芸能』で、勝新太郎さんについて4ページの記事を書いている。『偶然完全 勝新太郎伝』ではこぼれ落ちた話を取りあげてみた。
『日刊ゲンダイ』の連載にしても、単行本の中では話の流れがそれてしまうので、残念ながら割愛した話が沢山ある。それだけ魅力的な男なのだ。
ぼくが本を買う時に参考にしている、「HONZ」というサイトがある。そこで、『偶然完全』が取りあげられた。嬉しいことだ。

先日の出版パーティにも参加して頂いた康芳夫さんから、「勝新太郎&モハメドアリ」Tシャツが届いた。残りの二人は、康さんとロッキー青木。濃い面々だ。
康さんは『偶然完全』の中にも出てくるように、モハメドアリの試合を日本で開催した。勝さんは来日からアリを追いかけて、映画を製作したことがあった。

2011年12月9日

まだソクラテスが亡くなった喪失感がある。
年明けにブラジルへ取材に行くつもりだった。その際、ソクラテスが元気ならば、会いたいと考えていたから、余計ショックが大きいのかもしれない。
「コリンチャンスが優勝する日に亡くなるなんて、ドットールらしいね」とコリンチアーノのエジソンと電話で話した。サンパウロ生まれのエジソンにとって、ソクラテスは憧れの存在だった。それにも関わらず、ジーコやセレーゾとは仲の良くても、ソクラテスとは会ったことがなかった。今度、ぼくが会う時には仕事関係なしに付いて来るつもりだったという。ドットールと一緒にビールを飲むことは、コリンチアーノの夢だったのだ。
そういう意味では、ぼくは幸運な男だった。彼は生まれ故郷のヒベロンプレットにあるピングイという店が大好きだった。いつもピングイで待ち合わせて、ビールを飲んだ。ここの生ビールが世界で一番旨いのだといつも自慢げだった。
来年、ブラジル・サッカーについての短編集を上梓する。その中の一編としてソクラテスの話を入れることになっている。これから、今まで彼についた書いた原稿を再構成していく。もう一度、彼の言葉を噛みしめるつもりだ。

ソクラテスの著書「デモクラシア・コリンチアーナ」にサインを貰った。デモクラシア・コリンチアーナとは、ソクラテスのいた頃、コリンチャンスの黄金時代の話だ。

2011年12月5日

昨日、元ブラジル代表のソクラテスが亡くなったという悲しいニュースが入った。
97年に話を聞いて以来、度々彼に話を聞いてきた。知識と洞察力、機転に富んだ受け答え――ブラジルサッカー界最大の知性と言える存在で、毎回刺激を受けてきた。昨年のW杯前に話をしたのが最後になった。ブラジルに行っても、もう彼に会えないと思うと本当に悲しい。

さて、今日発売の『週刊現代』(講談社)に以下の記事が掲載されている。

『偶然完全 勝新太郎伝』刊行記念 特別対談
桑名正博×谷崎弘一
君は勝新太郎を見たか

勝さんと親しかった桑名さん、勝さんの弟子だった谷崎さんの対談である。話の流れで残念ながら『偶然完全』では割愛した、内田裕也さんとの勝さんの話など、面白い話が入っている。
お二人には本当に助けられた。
谷崎さんは、テレビシリーズ『新座頭市』の「冬の海」の回が有名である。脚本は一切なく、毎朝撮影前に勝さんが口述した科白を頭にたたき込んで、芝居した。当時のことを思い出してもらうために、うちの事務所まで来て貰い、DVDを見ながら話を聞いたこともあった。
11月29日の出版パーティの日、桑名さんは関西でライブ中で、参加してもらえなかった。代わりに、映像でメッセージを頂き、会場で上映した。

11月に原宿のクロコダイルでライブをした時の桑名正博さん。「月のあかり」を久し振りに聞いた。やっぱりいい。

2011年12月2日

今週は、火曜日に出版パーティを開いたこともあり、慌ただしい一週間だった。
パーティ前日、天気予報は雨になっていた。ぼくは何か大切なことがある時、雨が降ったことはない。大丈夫だろうと思っていたら、やはり雨は降らなかった。日が暮れて、会場からは赤い東京タワーが綺麗に見えた。
勝さん関係で言えば、長良じゅん会長、勝さんの娘の真粧美さん、息子の雄大さん、若山富三郎さんの娘の佳代子さん、ラテンクオーターの山本信太郎さん、勝さんの弟子だった谷崎弘一さん、勝さんの弟分ともいえる川谷拓三さんの息子の仁科貴君、勝さんと一緒に通った田賀のマスターなどに来てもらった。
そして、今日から書店に『偶然完全 勝新太郎伝』が並んでいる。是非、手にとって欲しい。

質感、手触りもいい。フォントの選び方にも三村君のこだわりがある。詳しくはniwanoniwaのサイトにて。