週刊田崎

田崎 健太 Kenta Tazakimail

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。
著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)。最新刊は『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)。
早稲田大学講師として『スポーツジャーナリズム論』『実践スポーツジャーナリズム演習』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。『(株)Son-God-Cool』代表取締役社長として、2011年2月に後楽園ホールでのプロレス『安田忠男引退興行』をプロデュース、主催。愛車は、カワサキZ1。
twitter :@tazakikenta

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2013年3月30日

毎年、三月は過去と未来が交差することを改めて感じる時期である。大学で教えるようになってからは、特にそうだ。
ぼくが早稲田大学で後期の授業『実践スポーツジャーナリズム演習』を担当するようになって四回目の卒業生を送り出すことになる。前期の『スポーツジャーナリズム論』は三〇〇人ほどの学生が履修しており、ぼく自身が登壇するのは月一回だけ。それぞれの生徒をしっかり見るのは無理である。後期は十人から二十人程度の学生しかいないので、関係は濃くなる。
後期の一年目は本当に手探りだった。今年はその時に一年生だった学生も卒業する。あれから四年も経ったのだとつくづく感じる。
今週の日曜日、後期四年目ということで今年は初めてOBとOGたちも集めて、送り出しの会を開いた。そこで、OB、OGの発案で卒業生にそれぞれ一冊、本を送ることになった。ぼくの授業では様々な本を読むことを強く勧めてきた。うちの授業らしい卒業の儀式である。

ぼくが選んだのは、ブルース・チャトウィンの『どうして僕はこんなところに』だった。『ソングライン』と悩んだのだが、軽い文庫本が出ている前者を選んだ。

子どもの頃は、家族、あるいは学校という組織に護られる。社会に出るというのは、一人の大人になるということだ。もちろん、大企業に入社すれば、企業に寄っかかって護られることも可能だろう。今の四十代以上にはそうした社員は多い。彼らは少し話をすればすぐに見分けがつく。年をとっていて肉体は老けているが、精神は幼稚だ。自分の足で立っていない後ろめたさがぽろぽろ、こぼれ落ちる。
業績が良かった時代は企業にもそうした社員を抱えこむ余裕があった。働かない社員も組合が後ろ盾になってくれた。しかし、これからはそうはいかない。

旅――一人旅の孤独は人を成長させる。見知らぬ世界では、自分だけしか頼れない。自分を守るために、必死で言葉を使い、生き抜くために考える。世界中を旅したチャトウィンの文章には、個人として生きる逞しさと、優しさがある。真の優しさは、独立した個人しか持ち得ない。
新社会人のあり方を書いたハウトゥー本を熟読するよりも、チャトウィンの本を感じる方がずっと魅力的な大人になれる、と思うのだ。

昨日から大阪入りしている。今日は維新の会の党大会に出席してきた。橋下徹代表の演説が、これまでと違って、静かで大人しかった。今回の大阪出張は、五月発売となる単行本の最後の取材と仕上げのためである。乞うご期待。

2013年3月16日

3月13日、45才になった――。もうこの年になるとめでたくない。
早生まれの人間は子どもの頃は成長速度の関係で損である。ただ、年を取ると悪くない。同級生がどんどん年を重ねて、三月になった頃には年齢が一つ積み重なることの準備が出来ている。だから、特に感慨はない。
石川達三の『四十八歳の抵抗』という、1956年に発売された小説がある。大映で映画化もされている。ストーリーは今読むと大したものではない。生命保険会社に勤める主人公の四十八歳の男が、やり残したことを考え、十代の女性のことを想い、温泉旅行に出掛けるが一線は越えないという話だ。
この主人公の男はまるで老人だ。ぼくと三つ違いだとはとても思えない。今から五十年以上前、四十代後半は、人生の終わりを痛切に感じる老人だった。

もちろんぼくも自分の人生がこのまま続くなどとは思っていない。残された時間が減りつつある中、書きたいことをまだ実現していないことに焦ることもある。年一度の誕生日はそれを強く自覚する日でもある。

今週は誕生日関係もあり、飲み続けてしまった。金曜日は朝まで飲んだ後、酒を抜いてから、世田谷通り沿いの『SMC』へ。
愛車のZ1のエンジンは好調なのだが、点火系に悩まされていた。純正品のポイントが故障してからは、サードパーティのパーツを組み込んでいた。どうもこの品質にばらつきがあるらしく、しばらくすると不調になる。とくに始動の時はひどく、暖まるまで爆発音を鳴り響かせて走っていた。
このSMCは、早稲田大学大学院で平田先生の教えを受けた、プロゴルファーのタケ小山さんから紹介された。タケさんの愛車はKZ1000である。オートバイショップには相性がある。特にZ1のような70年代のオートバイは難しい。ちょっとパーツを替えることで一気にバランスを崩すこともある。点火系をポイントからトランジスタに替えたいとは思っていたが、なかなか信用できる人がいなかったのだ。ぼくはかなりの部分、勘で動く。SMCの伊藤さんと話をして、Zに関する知識と熱意、人柄ですぐに任せようと決めた。
伊藤さんからパーツが届いたので、金曜日以降いつでも来て下さいという連絡をもらっていた。時間を都合してすぐに行くことにした。作業時間約一時間――。伊藤さんと別れて世田谷通りを走り始めた。楽しくて仕方がない。低速のトルクが出るようになり、明らかに乗りやすくなったのだ。もちろん始動もいい。45才になっても、大人げなく走り回るつもりだ。ぼくの『四十五歳の抵抗』である。

2013年3月10日

単行本原稿が一段落した後、打合せや取材が連続している。今週末、まとまった時間を作って、片付けと次の本の準備に取りかかることにした。
今日は、執筆中の机上に山積みされていた本たちに手をつけた。写真は、ここ二ヶ月ほどの間に、読んだか読み返した本である。メモをとって参考にした本もあるし、気になったのでざっと飛ばし読みしただけの本もある。
もちろん、これ以外にも取材中に読んでいた本もある。何より取材データは数十時間分、取材メモ、さらに論文や雑誌、新聞のコピーも膨大だ。いつも言っていることだが、ノンフィクション作家という商売ほど、効率の悪いものはない。それでも物を生み出すという喜びが常に上回っているから、ずっと続けているのだ。
さて――。
読み返した本の中で改めて発見があった一冊を選べば『渡邊恒雄回顧録』になる。これは御厨貴さんらのきちんとした聞き手が、敢えて一問一答形式を取って書いている(この敢えてというのが肝である)。ナベツネ≠ヘ色々と言われるけれど、やはり面白い。
「僕は日本の戦後史の流れを見たとき、イデオロギーや外交戦略といった政策は、必ずしも絶対的なものではなく、人間の権力闘争のなかでの、憎悪、嫉妬、そしてコンプレックスといったもののほうが、大きく作用してきたと思うんだ」
これは至言である。
彼の政治家への食い込み方は、流石である。この手法は今では通用しないし、危険なジャーナリズムである。それでも人を捕まえるということでは参考になる。メディア志望、特に新聞志望の学生は薦めようと思う。ただし、この手法を疑いながら、ではあるが。

『W杯ビジネス三十年戦争』を書き上げた時も資料が膨大だった。あの時は、英語、スペイン語、ポルトガル語が入り交じっていた。今回は日本語だけなので、楽といえば楽だった。