週刊田崎

田崎 健太 Kenta Tazakimail

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。
著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)。最新刊は『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)。
早稲田大学講師として『スポーツジャーナリズム論』『実践スポーツジャーナリズム演習』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。『(株)Son-God-Cool』代表取締役社長として、2011年2月に後楽園ホールでのプロレス『安田忠男引退興行』をプロデュース、主催。愛車は、カワサキZ1。
twitter :@tazakikenta

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2013年6月30日

かつてぼくが『週刊ポスト』編集部にいた頃、康さんはたまに編集部にやってきた。
長髪に白装束、切れ長の目は一度見たら忘れない。怪人というのが相応しい人だった。自分を誌面に載せると雑誌が売れるという、ジンクス≠編集長の岡成さんに押しつけていたのだ。自分を売り込む巧さはさすがだった。
『偶然完全 勝新太郎伝』の取材を進めている時、勝さんがモハメド・アリの映画を撮影した話が出て来た。モハメド・アリを日本に招聘したのは、康さんである。週刊ポスト時代の先輩に康さんの連絡先を聞いて、話を聞くことにした。康さんにはぼくの仮説をぶつけることになった。
勝さんが芸術というものに深くコンプレックスを持っていたこと。それが勅使河原宏さんとの付き合いに繋がったこと。勝さんが製作したモハメドアリの映画『黒い魂』は、勅使河原さんのホゼ・トーレスの映画を意識したものだったこと――。
康さんはこれらに同意してくれた。勝さんを冷静に見ている康さんの見方は、本を書き上げる上で多いに参考となった。
その後、康さんには『偶然完全』の出版パーティにも来て頂いた。下北沢のB&Bから勝さんの17回忌に合わせてイベントをやりたいと話をもらった時、康さんの顔が頭に浮かんだ。しんみりと振り返るよりも、康さんといかがわしい§bをする方が勝さんらしいと考えたのだ。
トークイベントの行われた六月二十二日、一時間前に会場へ行くと、康さんは隣のカフェですでにジントニックを飲んでいた。ぼくも康さんに倣って、酒を飲み始めることにした。
テレビはもちろん、Ustreamでも放送できない、過激かつ面白い内容になった。 「石原裕次郎はたんなるアンチャンで、勝ちゃんと比べたら悪いよ」。その通りだと思う。勝さんとの話の他、野球賭博、ネッシー探検隊、モハメドアリ対アミン大統領の裏側。やっぱり康さんは胡散臭く、面白い。

康さんにもらった、当時の週刊ポストのグラビア記事。この麻原の被り物は長らく編集部の棚に置いてあった。康さんのような、胡散臭い人をかつての週刊誌は巻き込んでいたのだ。

『偶然完全』  2011年12月2日発売

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2013年6月22日

ここ数ヶ月、異常な忙しさが続いていたのは、五月、六月と連続して出版が続いていたからだ。
今週木曜日から今年二冊目の本、『ザ・キングファーザー』(カンゼン) が書店に並んでいる。
これは、三浦知良選手の父親、納谷宣雄さんを描いた本である。実は昨年一度書き上げていたが、諸事情があり発売をこの時期に延ばすことになった。

納谷さんとの付き合いは、97年に遡る――。
本の書き出しはこんな風に始まっている。

☆   ☆   ☆   ☆

 それらしき男は、まだ来ていないようだった。
男との待ち合わせ場所は、東京、芝にある東京プリンスホテルの一階ロビーの喫茶室だった。この日の東京は青い空が一面に広がる快晴だった。ランチボックスでも持って公園に出掛けたくなるような陽気だった。壁一面の窓硝子の向こう側には太陽の光に照らされた青々とした樹木が見えた。入ってくる人間を見逃すことがないように、喫茶店の入口付近に座って待つことにした。
―― 一体、どんな男なのだろうか?
期待よりも怖い物見たさ、というのが正直なところだった。
待ち人の名前は納谷宣雄と言った。カズこと三浦知良の父親である。実父でありながら姓が違うのは、彼は離婚しており、知良は母親の三浦姓を名乗っているからだ。
とにかく彼には噂が多かった。
〈サッカーボールの中に麻薬を入れて韓国から密輸して逮捕された〉
〈昔は暴力団の構成員だった〉
〈ブラジルへサッカー留学生を送って荒稼ぎしている。トラブルを起こして、刑務所に入れられたことがあり、二度とブラジルの地を踏めない〉
〈アルゼンチン人の殺し屋がついており、彼に不都合なことを書くと消される〉

☆   ☆   ☆   ☆

その後、ぼくは納谷さんからサンパウロのアパートを借りて、南米大陸を一周した。かつてカズさんが住んでいたアパートである。
ぼくはブラジル各地を回り、様々な人間の話を聞いた。ブラジルのあちこちにはカズさん、そして納谷さんの足跡が残っていた。
三浦知良という選手は、身長が高くもなく、飛び抜けて足が速いわけでもない。現在の若手選手の中に入れば、技術でも埋没してしまうだろう。いわば、中庸の選手である。それでも――彼は、未だに特別な存在でありえる。
三浦知良という選手の逞しさは、選手としての揺籃期をブラジルで過ごした面にあることは間違いない。そして、その環境に追い込んだのは、納谷さんだった。そして、納谷さんは三浦知良の父親という以上に、日本サッカー界に関与している。そのことをきちんと描かなければならないと思っていたのだ。

CRBに残っていたカズさんの契約書

『ザ・キングファーザー』  2013年6月20日発売

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2013年6月20日

昨日、東京に戻ってきた。
先週金曜日は札幌、今週月曜日は大阪で、中田宏さんと共に『維新漂流 中田宏は何を見たのか』発売記念トークショーをしてきた。トークショーの中では、日本の政治ジャーナリズムとサッカーのジャーナリズムの比較にも触れた。
日本のサッカージャーナリズムを形作ってきたのは、フリーランスの先達の方々である。大手新聞の運動部やスポーツ新聞の記者ではない。時に自腹で、赤字を覚悟しながら、国外のサッカーを取材し、ワールドスタンダードというものに日本に伝えた。その功績は、サッカー協会も理解している。だから、日本代表、Jリーグの試合、記者会見をフリーランスに公開している。
その記者会見では、経験のあるフリーランスが自然と主導権を握ることになる。若い社員記者たちにとって、彼らの質問は参考になるだろうし、自分たちも下手な質問はできないという重しになる。自分の記事が他のメディアの書き手と比べて、明らかに劣るようならば、自分の腕のなさを自覚し、研鑽の必要を感じることだろう。
ところが――。
政治ジャーナリズムは、基本的に記者クラブという密室で行われている。記者クラブに入るには、能力や勉強は全く問われない。条件はたった一つ、加盟新聞社の社員であればいい。
本来、政治ジャーナリズムは政治家、政党の政策、それを実行したのかどうか、きちんと追うべきだ。ところが、実際には派閥人事、あるいは特定の政治家、グループを利するようなリーク記事ばかりとなっている。政治欄はどれも断片に過ぎず、政治の背景や流れを、新聞を読むだけで理解するのは難しい。
未だに中田宏さんは、横浜市長辞職の原因をきちんと理解されていない。Y博の失敗から逃げた、あるいは週刊誌の捏造醜聞記事の影響であると考えている人が多い。中田さんが辞職記者会見の時に、きちんと説明しなかった(この事情については『維新漂流』にきちんと書いている!)ことも理由の一つだ。そしてそれに加えて、記者たちの勉強不足もあった。長期間、記者クラブの一員として定期的に中田さんの話を聞いていながら、彼の意図を理解できなかったのだ。

そして、もう一つ話したのが、ノンフィクションを取り巻く状況についてである。
今、ノンフィクションの書き手を悩ませているのは、取材費だ。
当然のことながら、ノンフィクションは取材をしなければ書けない。良質な作品とするには、緻密な取材が必要だ。こうした取材には、交通費、宿泊費、話を聞くときの飲食費などとにかく経費が掛かるものだ。
出版社が経費を丸抱えしてくれるのは、ごく一部の人間であり、多くの書き手は様々な媒体と交渉して経費を捻出している。だから、フリーランスは辛いのだ、とは言いたくない。社員記者は給与が保証され、経費はもちろん、出張に行けば手当も付く。こうした状況を羨ましいと思わないと言えば嘘になる。しかし、自分の身を切る覚悟が、取材、原稿に重みを加えてきた。
ジャーナリズムにとって最も大切なこと――組織の禄を食んでいないからこそ、自分が正しいと思ったことを書ける。やや、やせ我慢気味ではあるが、真のジャーナリズム、表現活動は組織から独立していなければ成立しないと信じている。
金がふんだんに使えれば、出版社が機会を与えてくれれば、素晴らしい作品を書けるなどというのは、やらない人間の言い訳に過ぎない。ノンフィクションに限らず表現活動というものは、必ず金≠ェ掛かるものだ。いかに金≠作品作りのために自分のところに引きつけるか。そうした創作活動以外の交渉も表現者の能力である。
『維新漂流 中田宏が何を見たのか』の取材経費は、版元の集英社インターナショナルはもちろん、不定期連載をしていたGQ編集部にも助けてもらった。一冊のノンフィクションが出来上がる裏側には、こうした物語があるのだ。

トークショーが行われた金曜日は天気が持ったが、翌日の札幌は雨だった。札幌の中田さんとの話の一部は増刊中田宏にアップされている。

2013年6月10日

ここのところ『維新漂流 中田宏は何を見たのか』の著者インタビューなどで維新の会及び橋下代表について話している(たまたま、彼が不用意な発言を連発していた)。
『維新漂流』で中田さんとを通じて橋下代表のことを描いた。これまでに出された本よりも橋下の本質を描いたつもりである。それでも――得体の知れない部分があるのは事実だ。
これまで何度も繰り返してきたように、橋下という政治家は誤解されやすい。本人もまた誤解されてもいいので騒ぎを起こそうとしている面もある。今回の発言のように彼の底の浅さが露見することもある。ただ、彼と大阪維新の会が大阪で進めてきた、統治機構改革、そして公務員改革は全面的に正しいと思っている。
まともな人間ならば誰でも感じているように、日本は古い枠組みにとらわれて身動きが取れなくなっている。そうした枠組みには、びっしりと既得権益が茂っており、それにしがみついている人間がいる。自民党は農協などを始めとした各種団体、民主党は労働組合――こうした政党の支持者を切ることはできない。だから、何をやろうとしても結局中途半端となってきた。
それを一気に変えるには、橋下のように狂気を持った人間しかできない。
橋下の人間性に対する、皮膚感覚的な嫌悪があることはぼくも理解している。だからこそ、中田宏という人間性の違う政治家を通して、橋下をぼくは描こうとしたのだ。

日本はどうしようもないところに来ている。
ぼくの古い友人である広瀬一郎氏が静岡県知事選挙に立候補した。彼なりに日本の地方政治を変えようと立ちあがったのだと理解している。政治を職業とする政治屋≠ナは日本は変わらないという点は全く共感する。 ぼくは政治家になるよりも、文章で表現するしかない。まっとうな人間ならば感じる日本の政治の問題点をこの『維新漂流』の中で書いた。特に若い、そして政治に余り興味のなかった人にこそ読んで欲しい。どうして日本の政治は変わらないのか、公務員組織の問題、地方自治――今、日本が抱えている問題を理解する助けとなる本だと思う。

☆  ☆  ☆  ☆

中田宏さんと札幌&大阪でトークイベントやります。お近くの方は是非!

6月14日(金)
『維新漂流 出版記念・講演会』
【場所】ロイトン札幌 札幌市中央区北一条西1-11-1
【時刻】18:00〜20:00
【問い合わせ】ドラゴン・アロー 011-788-4242

6月17日(月)
『維新漂流 中田宏は何を見たのか』出版記念講演会&懇親会
【場所】青少年センター新大阪KOKOプラザ 大阪市東淀川区東中島1-13-13
【時刻】講演会19時開場
懇親会20時50分〜自由解散
【申し込み】Facebookページ


以下は勝新太郎さんの17回忌記念のトークイベントです。

6月22日(土)
田崎健太×康芳夫
勝新太郎十七回忌
「勝新最後の『弟子』VS.勝プロ倒産の引き金を引いた怪人」

【場所】本屋B&B 世田谷区北沢2-12-4 第2マツヤビル2F
【時刻】19:00〜21:00 (18:30開場)
【入場料】1500yen + 1 drink order
【申し込み】B&B申し込みページ


先週6月5日は、勝新太郎さんの十七回忌だった。勝さんが亡くなって十六年が経つ。つくづく時間の流れは早いと思う。
出席者は、渡哲也さん、舘ひろしさん、内田裕也さん、白竜さん、松平健さん、イビョンホン(!!)などなど。隣のテーブルに高知東生さんと高島礼子さん、仁科貴君がいた。
貴君とは久し振りの再会。貴君と共に『偶然完全』で協力してもらった石橋蓮司さんにも挨拶できた。 蓮司さんからは「面白かったよ」と有り難い言葉を頂けた。
その他、ピッピさんやテレ東の大島さん、山本信太郎さん、田賀のマスターなどここしばらくご無沙汰している方に会えたのは良かった。

2013年6月03日

ぼくたちの仕事は休みがない。
ぼくの場合、基本的に自分が興味のあることしか書かないので、休みがないことを同情されなくともいい。ただ、それでも仕事は仕事である。特に山積みの資料を使って必死で原稿を書き上げた後などは、全てを忘れたくなる時がある。
ずっと前から六月頭の数日間を狙っていた。ちょうど今年二冊目の単行本の校了が終わる。そして梅雨入り前だ――。この時期に取材や打合せを入れないようにしていたのだ。
ところが……。
先週、例年より早く梅雨入りしたという報道があった。仕事の切れ目と好天はなかなか重ならないものだと悔しく思っていた。しかし、天気予報を見ていると、週末は天気が持ちそうだった。大切な日には晴れるという根拠のない自信がぼくにはある。大丈夫だろうと、金曜日の午後にゲラを編集部に届けた後、首都高速に乗って北へ向かった。
東北道をオートバイで走るのは初めてだった。オートバイと車が違うのは、その場の空気、ちょっとした違いを肌で感じられることだ。福島県に入るとヘルメットにぽつぽつと音を立てて虫が当たるようになった。途中、潰れた虫の体液でシールドを拭わなくてはならない程だった。それもオートバイの旅の楽しさである。 仙台で一泊し、翌日に岩手県の遠野に向かった。遠野では教え子が調教師の修業をしている。 彼によると、馬にはそれぞれ性格があるという。プライドの高い馬、気の弱い馬――まるで人間のようだ。そして、G1にも出た馬に乗せて貰ったのはいい経験になった。 本当にいい気分転換となった三泊四日の小旅行だった。

釜石道を抜けて、遠野へ。

サラブレッドは美しい。そしてどの馬も顔つきが違う。

放牧されていた親子。子供が親の周りにまとわりつくのは微笑ましい。