週刊田崎

田崎 健太 Kenta Tazakimail

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。
著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)。最新刊は『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)。
早稲田大学講師として『スポーツジャーナリズム論』『実践スポーツジャーナリズム演習』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員。『(株)Son-God-Cool』代表取締役社長として、2011年2月に後楽園ホールでのプロレス『安田忠男引退興行』をプロデュース、主催。愛車は、カワサキZ1。
twitter :@tazakikenta

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2013年4月19日

だいたい年に一か月から二か月、多い年だと三か月ほど、日本を空けることが続いてきた。そんなぼくにとって今年はかなりおかしな年である。年明けから一度も国外に行っていないのだ。とくに大学で教えるようになってから、授業のない二月から三月に掛けては国外出張を入れてきた。それにも関わらず、今年は昨年末に上海に行って以来日本に居続けている。
というのも、ここ数ヶ月単行本に追われていた。次の本は五月二十四日発売になる。初めて政治を書くということで、予想以上に時間が掛かってしまった。それを仕上げながら、次の本の取材も進行している。だから、全く身動きが取れなかったのだ。
そうこうしているうちに、早稲田大学で担当している前期「スポーツジャーナリズム論」の授業が始まった。前期の授業はもう7年目になるらしい。毎年修整を加えて、かなり完成度は上がっていると自分では思っている。ここ数年、最初の授業では、スポーツジャーナリズムの特殊性について話している。スポーツを描くということはかなり特殊である。ジャーナリズムが本来持つ、エスタブリッシュメント(支配者層)に対する監視という性質が薄く、ビジネスに近い――。授業では毎回、学生に感想を書いてもらっている。今年多かったのが、ジャーナリズムに権力監視の側面があったということに気づかなかったという感想だ。確かに今、エスタブリッシュメント、そして権力という感覚はなくなりつつある。ただ、その意識がなければ、単なる被取材者に媚びた追従、提灯記事に墜ちてしまう。
こうした当たり前のことに改めて思いを巡らせるようになるのも、大学で教えているからだろう。

さて、さて。
今月からInterFMにレギュラー出演することになった。早稲田大学平田研究室OBのタケ小山さんがパーソナリティーを務める毎週土曜日朝オンエアーの「GREENJACKET」という人気番組である。
KZ1000乗りのタケさんには、公私共々お世話になりっぱなしである。単行本が出た時、後楽園ホールでプロレス興行をした時、タケさんは番組で告知して助けてくれた。これから毎月第三週、朝六時半ごろに登場してスポーツの話をすることになる。早起きの人、あるいは金曜日朝まで飲んだ人は是非、土曜日早朝のInterFMを聞いて欲しい。

今週水曜日は、大隈小講堂で元ロッテの小宮山悟さんのトークショーの司会。ぼくも所属している早稲田大学スポーツ産業研究所主催である。小宮山さんは頭の回転が速く、話題も豊富なので、いかに引き出すか、自分の瞬発力が問われているような気持ちになった。自分で言うのも何だけれど、相当濃密でかつ面白い会になったはずである。

2013年4月10日

先週あたま、三泊四日の大阪出張から戻り、ひたすら籠もって単行本を仕上げていた。金曜日までに仕上げる予定がさらに伸び、最終章、後書きまで終えたのは今週月曜日の朝だった。まだ納得できていない箇所も多い。校了でさらに手を入れることになる。
少し気持ちに余裕が出来たので、事務所の周りを散歩して古本屋に入った。明確に探したい本がある場合は神保町に出かける。近くの古本屋は、目的なく入る場所だ。古本屋には品揃えに個性がある。この古本屋は割合気に入っているので、散歩の合間に立ち寄ることが多い。この日は立原正秋のエッセイ集『夢幻のなか』と棟方志功の『板極道』の二冊を買った。

ぼくは旅に出ると必ず、その街の本屋を覗くことにしている。国外で最も長い時間を過ごしてきたブラジルのサンパウロでは、アベニーダ・パウリスタのFNACなど新刊書店の品揃えは悪くない。しかし、質の高い古本屋は未だ見つけられていない。記憶に残っているのは、ペルーの首都リマの古本屋である。2000年頃、スペイン語版『LIFE』の古い号がただ同然の値段で売られていた。持ち帰る手間を考えて、買わなかったことを後悔している。コロンビアの首都ボコタの本屋も印象的だった。高い天井の上まで伸びた重厚な木製の本棚に本が並んでいた。さすがガルシア・マルケスを生み出した国だと関心したものだ。
あくまでもぼくの感想ではあるが、南米大陸ではブエノスアイレスとモンテビデオの本屋は粒が揃っていた。特にウルグアイの首都モンテビデオである。ウルグアイは老人の国である。若い人間は外国に出稼ぎに行き、街には年寄りしか残っていない。マテ茶の入った茶器と魔法瓶を抱えた老人たちが目立つ街で、活気はない。しかし、いい本屋が幾つもあった。ぼくはモンテビデオにいたかなりの時間を本屋で過ごした。19世紀終わり、20世紀はモンテビデオかアメリカの時代が来ると予測されたことがあったという。そうした高い文化を保った時代があったことを、本屋から感じた。
日本に目を転じると、ここ数年、本屋、古本屋は画一化しつつある。こだわりのある店を除いて、店頭には大量に売れた(売れる)本ばかり、どの本屋も同じ本を陳列している。十年後、二十年後、日本にはどんな本屋が残っているのだろうかと、ふと不安に感じることがある。
とにかく、今のぼくは本屋に並べる新しい自著の質をあげることしかないのではあるが。

大阪でも党大会の取材以外、ホテルにほぼ缶詰状態だった。今回の大阪滞在のかなりの時間を過ごしたホテル一階のカフェにて。いったい何杯の珈琲を飲んだことやら。