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  田崎健太Kenta Tazaki......tazaki@liberdade.com
1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部など を経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを 手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス3 0年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)。最新刊は 、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)。4月末に『辺境遊記』(絵・下 田昌克 英治出版)を上梓。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。愛車は、カワサキZ1。
  2006..........2005..>> 12.>11.> 10.>.9.> 8.> 7.> 6.> 5.> 4.> 3.> 2.> 1..........2004

 

 

2005年4月30日


今月は国内出張の多い、落ち着かない一ヶ月だった。京都、名古屋出張、博多日帰り、その他、近郊の千葉や埼玉、横浜の取材もあった。出張自体は嫌いではない。ただ、時間のある時に出張を組むことができれば、ゆっくりできるのだが、だいたい忙しい時期は重なってしまうので、嵐のように仕事をこなして東京に戻ることになる。
ちょっとした息抜きになったのは、月の半ばに行った京都だ。
僕は京都市内で生まれたが、その後転々としている。京都の高校に行きながら、驚くほど知らない。
そもそも僕は京都という街があまり好きではなかった。それは僕が行った高校のせいかもしれない。僕が通っていた高校には、京都の老舗の料亭などの息子たちが多かった。彼らは、親の家業を継ぐことを決められていたが、将来が決められていることに特に不満を感じていないように見えた。彼らの中に僕は、感情を隠して、表面を取り繕うという京都の空気を感じていた。それは僕は全く馴染まないものだった。
今考えれば、長年続いてきた家業を継ぐことは大変なことだ。その知恵と経験は貴重なものだ。ただ、あのころの僕といえば、本当に生意気で、自分の将来に無限の可能性があると信じていたし、それを口に出していた。当然、合わないわけである。
関西出張に行っても、京都は素通りして知り合いの多い大阪で遊ぶことが多かった。
今回、初めて鞍馬山に上った。思っていたよりも、しっくりと来た。世の中には行ってみると面白いところがまだまだある。

 

鞍馬寺は狛犬ではなくて、虎がいる。犬よりもずっと強そうである。


 

 

 

2005年4月15日


今月号の「VS.」が発売。
この号では、野球の四国独立リーグ、IBLJのことを書いている。
僕自身、観戦ということで言えば、サッカーよりも野球が好きだ。正確に言えば、子供の頃からの阪神ファンである。これはフラメンゴを好きなブラジル人のように、もう変えることはできない。今年は、MBSの「阪神タイガースweb」のシーズンチケットを購入した。これで、ブロードバンドさえ繋がれば、世界中で阪神のホームゲームを観ることが出来る。
さて、そんな風に野球を楽しんでいる一方で、野球界が抱える膿に対しては、苛立ちを感じている。
IBLJは、まだよろよろと歩き出したばかりで、沢山の問題にぶち当たることだろう。しかし、彼らの起こした行動は、波紋を呼ぶだろうというルポルタージュだ。
紙幅が短くて、書ききれなかったことが沢山あるのが少し残念だが。是非、本屋で買って欲しい。
雑誌が力を取り戻さないと、ノンフィクションは瀕死に追い込まれる。最近、僕たちがいつも話していることである。

 

IBLJの写真は、同じ年の写真家、スエイシナオヨシ氏。最近、同じ年の友達が増えている。


 

 

 

2005年4月2日


大宮までアルディージャ大宮対セレッソ大阪の試合を見に出かけた。
セレッソは前半からゲームを支配していた。大宮は、前半眠っているようで、注意が必要な二人の選手、クリスチャンと藤本はチームの中に埋もれていた。ディフェンスのラインを保って、コンパクトなサッカーをするという以外は目立った選手もいない、特徴のないサッカーだった。
セレッソは、中盤の左サイド、ゼ・カルロスから何度もクロスを入れた。彼はトラップの技術はブラジル人らしいのだが、長いキックの精度がかなり低かった。前線でボールを待っていた黒部が待っている場所とは数メートルの誤差があった。
ただ、ブラジル人選手の怖さは、失敗しても萎縮せずに、繰り返しやり続けることだ。三本失敗しても、四本目にぴたりと合って点に結びつけば、それで成功なのだから。そうした意味で、精度が低くとも、彼がクロスを上げつづけたことは、大宮に比べると攻撃の意図ははっきりと見えた。
気になったのは藤本の位置だった。最初は中盤の左に開いていたが、途中から右に変わって、ゼ・カルロスの穴を狙いだし、前半終了間際から、さらにポジションを前に取り始めていた。注意をしなければならない動きだった。
後半、その予感は的中した。藤本が左サイドでボールを受けて、一瞬の間をみつけて、クロスを入れた。飛び込んだクリスチャンが頭で合わせて、得点。藤本のクロスも、クリスチャンの飛び出しも良かった。素晴らしい得点だった。
途中から、広山、西澤が入り、セレッソは攻め続けた。右サイドをやっていた久藤がボランチに入ったことで、中盤の底である程度、ボールが収まった。広山が何度かいいクロスを挙げたが、十センチほどの誤差があった。左右のクロスに、黒部と西澤も身体を張った。大宮のディフェンスが踏ん張り、二人は思うようにボールをキープすることはできなかったが、何度も繰り返せば、必ず隙間は出来るはずだった。
しかし、時間が足りなかった。終了間際に、ブルーノが前に飛び出してシュートを打ったが惜しくも外れた。それが最後のチャンスだった。一対零で大宮の勝利。
セレッソが、最初からこのサッカーをしてくれれば、全く違う展開になったろう。
試合が終わった後、ディフェンスのブルーノ・クアドロスと少し話をした。ジャーナリストである彼の父親は、ジーコのサッカーセンターで働いており、昔から顔見知りであった(『VS.』三月号に出ている)。セレッソにブルーノが移籍することが決まった時、異国の地に末っ子を送り出すのは不安だったのだろう。「困った時は助けてやってくれ」とブルーノを紹介されて、僕は連絡先を教えた。
その後ブルーノから連絡はなかったが、セレッソの試合はCS以外ではなかなかオンエアーがない。成績が良くないことは分かっていたのだが、どんな試合をしているのだろうと思っていた。関東圏で試合をやるというので見に行くことにしたのだ。
ブルーノは「今チームは良くなっている。ちょっとの差で上手くいかないだけだよ」とそれほど落ち込んでいるようではなかった。「お好み焼き、寿司…良い店があるから今度行こう」と大阪の生活は気に入っているようだった。
結果だけ見れば、大宮の辛勝。テレビのニュースでは短くカットされるので、ほとんどの人に試合内容が伝わることはない。セレッソの内容はそれほど悪くはなかった。大宮は得点機以外はほとんどチャンスはなかった。しかし、結果で評価されるのがプロではある。

 

ブルーノの故郷、リオ・デ・ジャネイロの写真。貧民街の中にある、元ブラジル代表ジョルジーニョの施設。後ろは上から見ると、Sの字にうねった不思議な形の古い公団住宅。巨匠オスカー・ニーマイヤーの設計らしい。
サンパウロの市街地にもニーマイヤーが設計した、床が斜めに傾いているビルがある。間違いなく、住みにくい。非合理的なものを真剣に作り、その不便さを認めてしまうブラジル人が僕は好きだ。
もちろん、ブルーノはこうした貧民街ではなく、リオの古くからの高級住宅地の出身。


 

 

 

2005年4月1日


原宿のクロコダイルであった桑名正博さんのライブに出かけた。桑名さんのバンド「トリプルX」は何度も見たことがあったが、アコースティックギターと歌を中心としたシンプルなものは初めてだった。
桑名さんは、とにかく歌が上手い。声に艶があるのだ。そして、桑名さんはギターも巧い。ボーカリストということもあるが、歌を生かすギターを弾くのだ。
桑名さんと初めて会ったのは、六年ほど前のことだ。知り合いから紹介されて一緒に食事をした。話しているうちに、僕たちには共通点があることに気がついた。
僕が勝さんの連載を担当していた時、ほぼ毎日一緒にいたことは以前書いた。勝さんは、全国に知り合いがおり、特に大阪には良く出かけていた。桑名さんは勝さんが大阪に来た時には、良く行動を共にしていたという。思い出してみれば、勝さんが「桑名が…」と話すのを聞いたことがあった。共通の知り合いが何人もおり、桑名さんの気さくな性格もあって、最初から話し込むことになった。
そこから、年に何回かは彼のライブに足を運び、たまに一緒に飲むようになった。
家に帰るとギターが弾きたくなり、埃をかぶっていたオベーションを久しぶりに手に取った。

 

昨年末、六本木ヒルズで行われた「黒澤明展」を見に行った。黒澤さんが書いた影武者の絵を見て、どきりとした。壁に掛けられていた「影武者」の絵は、まさに勝さんの顔だったのだ(ご存じのように、降板してしまったが。代役となった仲代さんには悪いが、誰もが勝新太郎主役の「影武者」を見たかったろう)。勝さんは良く、この影武者降板の話を冗談にしていた。
これは会場でもらった絵葉書。こちらは、それほど似ていない。


 

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