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  田崎健太Kenta Tazaki......tazaki@liberdade.com
1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部など を経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを 手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス3 0年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)。最新刊は 、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)。4月末に『辺境遊記』(絵・下 田昌克 英治出版)を上梓。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。愛車は、カワサキZ1。
  2006..........2005..>> 12.>11.> 10.>.9.> 8.> 7.> 6.> 5.> 4.> 3.> 2.> 1..........2004

 

 

2005年11月24日


フランクフルトから成田空港に向かう飛行機の中である作家の言葉が浮かんだ。飛行機の中でそのことをずっと考えていた。
英国の作家、ブルース・チャトウィンの『ソングライン』は、スクラップブックのように旅に関する文章が綴られている。 この本があまり勧められないのは、日本語訳のせいなのか、あるいはブルース本人の文章の癖なのか分からないが、読解しにくい(例えば、誤字脱字なのかもしれないが、“ヤンキーの帽子”というのがあった。“ヤンキースの帽子”の間違いなのか? 間違えようがないとは思うのだが)。ただ、書かれている内容は面白い。いずれ原文で読みたいと思う本である。 旅に関して彼の考えの一つは、人類はそもそも旅をする生物であったということだ。彼はそれをアボリジニやアフリカにおける人類の祖先の生態を使って説明している。 また、旅をすることは、人類は攻撃的でなくなるとも書いている。移動するだけで、危険にさらされるため自然淘汰が働く。決して人間同士が攻撃しあうという本能はない。 彼はこう考えている。人類は定住することにより、無数の弊害が発生したと。 ブルースの考えの一部は、僕も理解できる。かつて1997年に一年間日本を離れて、南米大陸を彷徨っていた時、僕は気楽になれた。自分を縛っていたのは何なのかは分からない。日本に戻ってきた時、周りの人間は僕のことを見て「あまり変わっていない」と言った。もしかして、僕自身が気づいてたのは変化の兆しであったのかもしれない。今になって僕は自分に起こった変化の幾つかを明らかに示すことができる。 その一つは、物を増やすことを避けるようになったことだ。 男性は収集癖があるとよくいう。僕の場合は本とCD以外に集めているものはなかった。いや、これらは集めているというよりも、自然と集まったものである。数少ない趣味といえばギターだが、現在ではエレキギターを一本、アコースティックを一本、移動用のギターを一本と必要なものしかない。 荷物を増やすことは、移動の不便になる。本当に必要なものだけを手に入れること−−それもまた生物としての本能なのかもしれない。もちろん、ギターは他人にとって見れば不必要なものに映るかもしれないが。
今日、四週間ぶりに日本に帰ってきた。移動の多い人生は悪くない。そして、母国に帰ってくるとほっとするのもまた事実だ。


 

 

 

2005年11月21日


モンペリエの駅のプラットフォームに着いたのは、バルセロナ行きの列車の出る数分前だった。またもぎりぎりのスケジュール、である。 田場夫妻がモンペリエまで見送りに来てくれた。 ニームで彼に貸していた本が戻ってきたので、スーツケースが少し重くなっていた。 以前から、田場選手の頼みで本を貸していた。彼があまり読む機会がなかったであろうノンフィクションを中心を選んで渡している。今回は本の他に、友人のディレクター、長南が撮った「情熱大陸」や、ドラマ「相棒」をDVDに焼いて渡し、読み終わった本を引き取ってきた。 渡した本よりも返してもらった本が多かったので、スーツケースが重くなってしまったわけである。 これまでに彼のために選んだ本は例えば、こんな風だ。 デビッド・ハルバースタムの「ジョーダン」、野村證券を描いた「ハウス・オブ・ノムラ」、「梶原一騎伝」(斉藤貴男)、「渡邊恒雄 メディアと権力」(魚住昭)。 彼の出身地沖縄を書いた「ひめゆり忠臣蔵」(吉田司)、「沖縄論」(小林よしのり)、「海燕ジョーの奇跡」(佐木隆三)−−などなど。 彼の感想を聞くのは僕の楽しみでもある。 彼だけでなく年下の人間と話していて思うことだが、みな読書をしたがっている。ただ、読むべき本が分からないのだ。確かに本屋に並んでいるのは、良い本ではなくて出版社と本屋が売りたい本である。 最近、小説を漫画から盗作したというニュースが幾つかあった。作家が、まるでモーニング娘。のように低年齢化している。そうしたアイドルのような作家、もしくはかつてのハーレクイーンロマンスの焼き直しのような小説が氾濫している。そのような流れの中では、盗作が横行していることは、容易に想像できる。 もちろん、出版社もその風潮を助長している。質の低い小説に宣伝費をかけて、あるいは映画等の他のメディアの力を借りて、売ることをマーケティングと呼んでいる。それが今の出版界の一つの流れである。 かつて中間小説と呼ばれたかつての大衆小説の質の高さを今になって思い知る。 世の中に本が溢れているのだが、逆に人々が読むに値する名作は逆に手に入りにくくなっている。 例えば僕はバルガス・リョサの「世界終末戦争」を手に入れるのにずいぶん時間がかかった。古本屋で見つけた時、数万円の値がついていたので躊躇してしまった。その後、別の古本屋で数千円で売っていたものを手に入れて読んだ。内容は数万円に値していた。 日本にも故・井田真木子さんのように、素晴らしいノンフィクション作家がいた(週刊誌時代に井田さんと仕事が出来たことは僕のいい思い出となっている)。彼女の作品は、書き手の間では尊敬されているが、一般的に知られているとは思えない。 人々が読むにふさわしい作品だけを集めた本屋をいつか開ければいいと思うことがある。自分がやらないにしても、そうした本屋を手助けできればいい。 ただ、その時、僕の本はどのような扱いをするか。 <これらの素晴らしい作品の中に混ぜていいものかは分かりませんが、良質な作品を作ろうという意志は感じる本>との但し書きをつけて、端の方に置くように頼むつもりでいる。

 

バルセロナのホテルにて。


 

 

 

2005年11月19日


案の定、パリに着いてからが大変だった。
パリのリヨン駅から、ウサム・ニームのBチームの試合が行われるエグザン・プロバンス行きのTGVに乗った。以前、僕はフランスのプリペイド式の携帯電話を持っていたが、数ヶ月に一度チャージしなければならない。何度か延長したが、結局は使えなくなってしまった。一度チャージすると一年間は使えることができるスペインの携帯電話だけが生きていた。パリのシャルル・ドゴール空港に着いた時に、田場選手とスペインの携帯電話で連絡をとった。エグザン・プロバンスに近づいた時に、再び電話で詳しい場所を聞くことになっていた。
しかし……。スペインの携帯電話をフランス国内で使うと国際電話扱いとなり、チャージの減りが早い。TGVの中で、携帯電話会社からのメールが届いた。すぐにチャージするようにといった内容だった。 受信するだけでも国際電話になり、チャージが掛かるため、フランス国内からの携帯電話を受けることもできない。 仕方がなく携帯のショートメールで、ローマ字で、携帯が使えないこと、体育館の場所をショートメールで送ってくれと田場選手の携帯に頼んだ。彼からは、すぐに体育館の名前が送られてきた。
「Ok!」
そうメールを送ると、再び携帯電話会社からメールがあった。 チャージが完全に終わってしまい、ショートメールも使えないというのだ。
まずい。 僕がエグザン・プロバンスに着く頃、彼は試合前のウォーミングアップをしているだろう。公衆電話から電話をしたとしても繋がらない。 彼のことだから、彼の自宅で待っている奥さんに体育館の詳細な住所を伝えている。ただ、僕は彼の自宅の電話番号を知らないことに気がついた。 本当にたどり着くことが出来るのだろうか…まあ、とりあえず行くしかない。エグザン・プロバンスの駅に着いた時、すでに日が暮れていた。太陽が落ちて、見知らぬ場所に着くと、さすがに少しは不安になる。南半球の太陽に慣れた僕には、気温以上に空気を冷たく感じた。 タクシーの運転手に携帯電話のメールを見せると、「知らない」と首を振った。
「この街じゃないんじゃないか?」
「いや、そんなはずはない」
背中に汗が流れた。 運転手は車を降りると、周りの運転手を集めて僕の携帯電話を見せた。
「ハンドボールの試合があるんだ」
僕がボールを投げる仕草をすると、一人の年老いた運転手が「わかった」と声をあげた。
こんな風に体育館に、なんとかたどり着くことができたのだった。

 

チームのバスに便乗してニームに着いた時には日付が変わっていた。 翌日、田場選手の愛娘、“天使”という名前を持つアンジェの輝く笑顔を見ることができた。奥さんに似て、人見知りをする。そして、田場選手に似て写真を撮られるのが好きである。


 

 

 

2005年11月18日


かつて半年ほどだがサンパウロに住んでいたことがあることもあり、この街には多くの知り合いがいる。彼らは僕がサンパウロに来ると、時間を作って食事等に誘ってくれる。それは、僕にとっては大きな財産である。サンパウロは、商業都市で決して美しいとはいえない。行く時はあまり気が進まないが、街を出るという時になると、後ろ髪をひかれる気がするのは、そうした友人たちがいるからだ。
さて。サンパウロのグアリューリョス空港に到着して、インターネットに接続した。メールを読むと、フランスの田場選手から慌てた調子のメールが届いていた。 彼のことを、土曜日にニームで行われる試合を取材するつもりだった。しかし、水曜日の試合で怪我をしてしまい、土曜日はBチームで調整しながら試合に出ることになったのだという。その試合はニームではなくて、マルセイユの近くだという。大きな荷物を持ちながら、その試合会場までたどり着くことができるのか……。とにかくパリに着いてから考えるしかない。 いつものことではあるが、走りながら考えるということになる。

 

最近サンパウロに来る時はこのフラットに泊まることが多い。この机で僕は仕事をしている。


 

 

 

2005年11月13日


サンパウロに戻ってきている。サンパウロもようやく太陽の光が強くなってきて、日中の気温は三十度を超えていた。いつものことだが、極端な気温の上がり方ではある。 ブラジルに限らず、欧州でも、土日というのは多くの店が閉まり、行く場所に困る。空いているレストランも限られている。店を開けているショッピングセンターに人が集中しているのを見ると、普段のように店も開けていれば商売になると思うのだが。 そうした娯楽の少ない土日の過ごし方として、スポーツの試合がある。この国ではスポーツと言えばサッカーである。 ただ、今日は、ハンドボールの試合を見に行くことにした。ここのところ時間の許す限り、関東で行われる大崎電気の試合に足を運んでいた。テレビではサッカーばかりが流れているので、少しハンドボールが恋しくなっていた。 こちらの新聞でもハンドボールのことを取り上げられることはほとんどない。ただ、ブラジルのハンドボール代表はアテネ五輪にも、チュニジアでの世界選手権にも出場している。今後、オリンピックや世界選手権で対戦することもあるだろう。日本代表のために、勝手に偵察をしておこうと思ったのだ。 ピニェイロスという高級住宅街の中にあるスポーツクラブの一部門であるハンドボール部と、メトディスタというチームの試合だった。サッカーの試合と同じように太鼓でサンバのリズムが響き、立ち上がってブーイングや拍手をする。もともとブラジル人は声が大きく、喜怒哀楽の表現が激しいので、数百人の観客でもその何倍もいるような錯覚に陥った。ピニェイロスのホームであるにもかかわらず、メトディスタの応援の声が大きい。
試合はそれほどレベルの高いものではなかった。宮崎大輔のように見ていて楽しいプレーヤーも、豊田や猪妻のように速さのあるプレーヤーもいない。 ただ、接触には強い。身長はそれほど高くないのだが、骨格がしっかりした選手が多く、当たりが激しい。試合中に二人の選手が鼻血を出し、終了後には乱闘が起こった。ポストの選手、アズマや永島は手こずるかもしれない。 結果はメトディスタの勝利。久しぶりのハンドボール観戦で、それなりに楽しむことが出来た日曜日だった。

 

試合は入場無料。石油会社がスポンサーにつき、Tシャツを配っていた。


 

 

 

2005年11月10日


太陽と海というのは、人間に与えられる最大の恵みであると思う。 ブラジルのリオとペルーの首都リマの貧民街の違いは、太陽と美しい海があるかないか、である。その恵みを受けて育つか、そうでないかで人格も変わってくる。ペルーの人々から、少々ひがみっぽいところを感じるのは、虐げられてきたインディオの血が原因だけではないと僕は思っている。 チリで拘束されたフジモリ元大統領の扱いを巡って、ペルー政府の人間は日本との国交断絶の可能性を示唆した。それは日本から下に見られているという国民感情を利用したものだろう。 僕がかつて「SAPIO」に書いたように(http://www.liberdade.com/sapio010425.html)、ペルーでは政治は人々が最も注目するもので、テロ等の深刻な問題を抜きにすれば娯楽であるかのように僕は感じた。 ペルーの政治という“舞台”では、使えるものは何でも使う。フジモリはもちろん、彼を糾弾する政治家も同じだ。汚くとも勝てばいい。少々ひがみっぽい観客をうまく味方につければいいのだ。 この観客は同時に忘れっぽい。次の芝居が始まると前の芝居のことを忘れる。そこでそれなりに結果を残してきたフジモリは、ヒクソン・グレーシーのようなものだ。 日本の外務省がフジモリを助けることに国益を見ているのならば、別に気にすることはない。ただ、外務省がフジモリのような百戦錬磨の猛者を利用するほど、肝が据わっているかどうかは分からない。 さて。 昨日、天気の悪いサンパウロを出て、北西部のマセイオに飛行機で到着した。空は青く、海は美しい。海岸を歩いて深呼吸するだけで、幸せな気分になれる。 このマセイオで一週間ほどゆっくりできればどんなに楽しいだろう。ただ、僕の今回の仕事のスケジュールはそれを許さない。明日にはサンパウロに戻らなければならない。

 

フランス海岸に向かう道には、バラック小屋が寄り添うように建てられている一角があった。海から入った入り江に、仕掛けをおいて魚を捕っている漁民なのだという。


 

 

 

2005年11月6日


昨日、サンパウロから飛行機でクリチーバを経由し、フォス・ド・イグアスに到着した。
フォスは、パラグアイとアルゼンチンと国境を面している。パラグアイ側のシウダー・デル・エステには数年前に来たことがある。エステよりもフォスの方がまともなホテルがあるという理由で、車で国境を越えて、フォスに泊まったのだ。
日本人の僕はブラジルに入るには、ビザが必要なのだが、国境ではパスポートコントロールは緩やかなので、そのまま入国した。いわば、軽い密入国だ。その時は雨が降っていたこともあり、イグアスの滝に行くことは諦めた。
そして今回は、七年ぶりにイグアスの滝を見ることができた。
イグアスの滝に行くと、人は、はしゃぎたくなる。圧倒的な自然の力を見ると、なぜか嬉しくなるのだ。
イグアスを前にすると、カメラは無力である。滝の迫力を見たことのない人に伝えることは難しい。滝を目の前にしても、大きすぎて作り物のように感じる。そんな大きな滝が幾つもあるのだ。
アントニオ猪木も週プレの人生相談で言っていたが、イグアスの滝だけは一生に一度でいいから見ることを勧める。物事を少々斜めから見る僕も同じ意見なのだから間違いない。

 


 

 

 

2005年11月4日


会うと力をもらった気になるという人がいる。その一人が、今日会ったソクラテスである。
元ブラジル代表のソクラテスは、ジーコと共にワールドカップに二度出場している。その名前、現役時代の痩せてひげ面の知的な顔つき、そして医学部を卒業していることから、求道者のような印象を持っている人も多いだろう。
しかし、傑出した知性を持っているということを除けば、実際の彼はずいぶん違う。
僕が彼に初めて話を聞いたのは、十年近く前になる。取材場所に、彼の住んでいるヒベロンプレットで著名なショッペリア(生ビールを出すレストラン)を指定された。僕と彼は、四時間ほど、話をしながらビールを飲み続けた。それから一年か二年おきに話を聞くことになったが、毎回ビールを飲んでいる。
自分が子供の頃に憧れていた選手とそうした時間を過ごせる幸せをいつも感じている。ただ、僕が元気をもらうのは、それだけが理由ではない。
最近、彼に何しているのかと尋ねると、イタリアで公演する芝居の戯曲を書いているのだという。その他にも、アフリカサッカーと植民地主義との関係を論じた本も上梓するのだと言った。
その他、音楽を吹き込んだりといった知的な活動の他、ブラジルサッカー界の腐敗にも立ち上がることもある。現役を引退すると、立ち往生してしまう元選手たちとは違うのだ。
今回もいつものように、彼にビールを飲みながら一通り話を聞いた。話が終わったのを見計らって、店にいた彼の友人たちから、一緒に飲もうと誘われた。その友人たちの職業が、音楽家、映像作家、地ビールの会社社長というのが彼らしい。
その中の一人が僕がビールを飲んでいるを指さして、大げさに驚いた。
「君は日本人なのに、仕事をしながらビールを飲むんだな」
「ドットール(ソクラテスの愛称)と話をする時は、飲まないとできないからね」と僕は応じた。
「この間、日本から来ていた…名前は忘れたけれど、最も大きい新聞社の人間は、どんなに勧めてもビールを飲まなかったんだ」
それを聞くとソクラテスは僕を指さした。「こいつは、俺と同じぐらいいつも飲んでいるんだぜ」
みなが一斉に笑い、僕たちはテーブルを移ることになった。
そこでは文学の話題になった。
ソクラテスは、この間、大学のフランス語も修了していた。
「バルザックなど、フランス文学が好きだからね。原書で読んだほうがいいだろう」
次は、法学部に入ることを考えているのだという。
僕もフランス語を勉強しているが、まだまだ上がいる。
圧倒されるのはそれだけでない。一ヶ月前には、六人目の子供が生まれていた。
「フィデルという名前をつけたんだ」
「フィデル・カストロのフィデル?」
「ああ」と彼は頷いた。
五人目の奥さんに六人目の子供−−。ますます敵わない。

 

一昨日からサンパウロを出て、田舎町を回っている。サンパウロから隣のパラナ州のカンバラまではバスで六時間。カンバラからバウルまでタクシーで戻り、翌日バウルからバスでアララクアラ、バスを乗り換えてジャウー。ジャウーからバスでソクラテスの住んでいるヒベロンプレットへ。ソクラテスに話しを聞いた後に、バスでサンパウロに戻った。二泊三日で千キロ近くバスで移動している。
写真はカンバラにあったバス。


 

 

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