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  田崎健太Kenta Tazaki......tazaki@liberdade.com
1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部など を経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを 手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス3 0年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)。最新刊は 、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)。4月末に『辺境遊記』(絵・下 田昌克 英治出版)を上梓。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。愛車は、カワサキZ1。
  2007.........2006..>>12 > 11 > 10 > 9 > 8 > 7 > 6 > 5 > 4 > 3 > 2.> 1..........2005

 

 

2006年1月27日


今日、三泊五日の取材旅行から帰国した。
今回はスイスウォッチのように、正確に予定をこなすことができた。僕の場合、時間を守らない国に慣れているので、スケジュールに余裕を持たせがちだが、まともな国であればこういう日程も出来ることが分かった。ただ、それが愉快なものかどうかは別の話であるが。
チューリッヒでは、スイス語とドイツ語が使われていたようだ。“ようだ”というのは理解できなかったからだ。
僕は大学の第二外国語はドイツ語だった。評価の厳しい先生の授業もあったのだが、二年できっちりと終えることができた。しかし、ドイツ語は全くできない。忘れたわけではない。当時からできなかった。試験をくぐり抜けることができたのは、語学センスというよりも勘が良かったからだ。
しかし、今となっては、ドイツ語を真面目に勉強しておけば良かったと思っている。
僕は法律に興味がないのに、法学部に入ったという不真面目な学生だった。法律の授業は古色蒼然として、毎年同じ事を呟いているであろう教授の授業が多かった。入学してすぐに学習意欲をなくした(僕の怠惰もある)。そのことに後悔はしていないが、言葉は覚えたほうが何かと便利だ。もちろん、言葉は道具にすぎない。ただ使えれば世界は広がる。そのことをスペイン語、ポルトガル語圏で痛いほど知っている。だから、後悔も深い。
というのも、一昨日、ルツェルンでの取材が非常に面白かったのだ。二時間近く話を聞いても、まだまだ足りなかった。疑問が明らかになり、そこにドラマがあった。国会図書館で日本語の文献を探し、さらに英文の文献に当たっても分からなかったことを聞くことができた。三十分ぐらいで話を聞き終えてしまえる、言葉を持っていない若いサッカー選手と訳が違うのだ。ドイツ語が出来れば、彼の言葉の端々まで拾うことができたのにと恨めしく思ったのだ。
その内容についてはここでは敢えて書かない。
詳しくはこれから書き上げる、単行本を読んで欲しい。

 

チューリッヒを出る朝は冷え込み、雪が降っていた。滑り止めなのか、道路に何かを撒いている人がいた。


 

 

 

2006年1月25日


今日は取材のため、チューリッヒからルツェルンという街まで約一時間、列車で移動。
前にも書いたが、僕は、列車やバスに長時間乗ることは、それほど苦痛ではない。
初めての場所を移動する時には、音楽を聴くこともなく、本も読まない。ただ、ぼんやりと窓の外を眺めていた。昨日も今日もそうだった。
流れる風景を見ていると、色んな考えがわき上がってくる。東京の部屋にいて、机の前に座っていると忘れているものかもしれない。自分の奥底に沈殿したものが攪拌されて浮き上がってくるような感覚なのだ。見慣れぬ風景は人間の脳のどこかを刺激するのかもしれない。
もちろん、もう何十回(百回近いだろう)と往復している、東京〜大阪の新幹線の中では僕は熟睡しているか、本を読んでいる。僕にとって新宿〜千駄ヶ谷の延長のようなもので、移動の時間を、ただただやり過ごしているのだ。

 

夕暮れのルツェルン湖。スイスは内陸地にあるのだが、川や湖が多いので潤いがある。


 

 

 

2006年1月24日


昨晩、スイスのチューリッヒに到着した。
今回もまた、厳しいスケジュールである。今朝は早起きをして、チューリッヒから列車で西へ向かった。目的地は国境を越えたフランス、ストラスブール郊外の小さな村である。
その小さな村もスイスも、今書いているFIFAに関する単行本の取材である。
スイスでの取材は単行本の重要な部分となるが、ストラスブールの小さな村はどうなるか分からない。特に人に会うわけでなく村の雰囲気を見るだけである。
今回の訪問は、二、三行の文章に反映されるかもしれないし、全く触れないかもしれない。ただ、重要な場所ではある。どうしてもその場の空気を吸ってみたいと思った。きついスケジュールになることは承知で、日帰りで行くことにしたのだ。
最近、「愚直」ということを良く考える。
かつて僕は、上手い書き手と呼ばれたいと思っていたような気がする。今僕はいい書き手になりたい。
僕の定義はこうだ。
上手い書き手は、手を抜き、時に自分の技巧に溺れる。一方、いい書き手は時に手は抜くこともあるだろうが、基本的には愚直である。
ノンフィクションを書いている以上は、冷静な頭脳を持って、情報を吟味した上で、「愚直」にならなければならないと思う。
トラスブールまで、列車に乗っている時間だけで三時間以上、タクシーに乗って十数分。帰るタクシーを呼んでもらうのに一時間待たされた。
ホテルに戻った時にはすっかりと日が暮れていたが、心地よい疲労と収穫を感じていた。

 

チューリッヒの街を走る市電。


 

 

 

2006年1月10日


今年はいったいどうしたことだろう。
ここのところ冬になると暖かい南半球に逃げ出していた。もちろん一ヶ月程度の滞在だが、それでもずいぶん違う。
今年の冬は冷え込みが厳しいというのに日本から出られない。十二月に出かけたスウェーデン、そして北海道は東京よりもずっと気温が低かった。
昨日、京都に着いたのだが、寒い。
今日は比較的暖かいが、もともと京都の冬は寒い。それは身にしみて分かっているので、この時期に来たくはなかった……。
さて。
書くのが遅れたが、『PRESIDENT』(プレジデント社)で日本代表監督ジーコの連載を始めた。これからワールドカップまで定期的にジーコに話を聞くことになる。毎月第二月曜日発売号に掲載予定である。

 

気分だけでも夏に。去年のマセイオの写真である。


 

 

 

2006年1月3日


ここ数年の年末年始の過ごし方とは、十二月二十九日ぐらいまで仕事、その後大掃除、三十一日の夜に年賀状を書き上げて、日付が変わる前に二十四時間空いている郵便局まで出かける。郵便局からマウンテンバイクで帰る途中、冷たい空気を頬に感じる時、今年も終わるのだと実感する。
 ところが、昨年最後の三週間もの間に、大分、スウェーデン、大阪、静岡、そして北海道へと出かけていたため、掃除はもちろんだが、年賀状を書く時間もとれなかった。
昨晩遅く年賀状を書き上げ、今日になって年賀状を投函した。ようやく、2005年が終わったという感覚が湧いてきた。

今日はアメリカンフットボールのライスボウルを見に行くつもりだったが、全ての日程が押してしまい、東京ドームまで足を運ぶことができず、テレビ観戦となってしまった。試合は、大学チャンピオンの法政をオービック・シーガルズが下した。MVPは古谷拓也選手が受賞した。
古谷選手とは、『AERA』で取材して以来、メールで連絡を取り合い、食事にも行くようになった。
彼がスーツを着て街を歩いているとアメリカンフットボールの選手だと気づく人はほとんどいないだろう。身体は僕よりも小さいぐらいだ。初めて待ち合わせた時は、眼鏡を掛けており、広報の人間かと思ったほどだった。ただ、彼が着替えると雰囲気が一転するから面白い。絵描きの下田昌克に紹介し、『VS.』で連載していた“シモダノート”にも登場したことがあった。
今年、彼は休職してアメリカのアリーナフットボール一部のチーム(オーナーはボンジョビ)に加入した。彼は以前にも二部でプレーしており、評価を得ていた。一部でも出来るという自信を持ってアメリカに再び渡ったのだが−−現実は厳しかった。
使ってもらえなかった。帰国してから会った時に、そう答えたが、恨みがましい調子は一切無かった。そして、もう一度行くことは考えていないと言った。
それは諦めとは違う。
能力、精神力、年齢、経験、スポーツで成功を収めるには様々なものが作用する。全てに恵まれている場合もあれば、そうでないこともある。現状を冷静に理解して、自分の出来ることをやっていくのだという意志を感じた。強くなったと僕は思った。今回の結果はそれを示したともいえる。
元旦の筋肉番付では宮崎大輔選手が優勝した。そして今日は古谷選手。今年はいい年になりそうな気がする。。

 

今年の年賀状は、昨年二月のサンパウロのカーニバルの写真を使っている。
カーニバル終了寸前、朝日が昇った時の写真である。


 

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