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  田崎健太Kenta Tazaki......tazaki@liberdade.com
1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部など を経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを 手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス3 0年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)。最新刊は 、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)。4月末に『辺境遊記』(絵・下 田昌克 英治出版)を上梓。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。愛車は、カワサキZ1。
  2007.........2006..>>12 > 11 > 10 > 9 > 8 > 7 > 6 > 5 > 4 > 3 > 2.> 1..........2005

 

 

2006年10月28日


昨日、ハバナから再びカンクン、ワシントンを経てサンパウロに到着。
そもそもハバナからサンパウロへバリグが飛んでいたので、それを使うつもりでいた 。しかし、バリグの倒産でややこしいルートでブラジルに入らなければならなかったのだ。
バリグについては前にも書いたが、古い機体、マイレージが時々登録されていない、 まずい機内食、関係者を優先してアップグレードする、CAは無駄話ばかり……と潰 れてもおかしくない航空会社だった。スターアライアンスの中でもなるべく乗らない ようにしていたが、そんな航空会社でも潰れると不便である。
さて、今年二度目のブラジル。昨日の朝、到着すると肌寒かったのだが、太陽が昇ると暑い。

今日は、サントスまでサントスとサンカエターノの試合を見に出かけた。
この日は、食品会社のネッスルがスポンサーとなっていた。商品を買えばチケットと 引き替えてくれるという。僕たちはわざわざ食べもしないビスケットを買う気がしなかったので、ダフ屋を探すことにした。
「一枚五ヘアル」
薄汚れて伸びたシャツを着た、歯の欠けた男が近寄ってきて、チケットを差し出した 。
三百円弱、悪くない値段だ。僕たちが紙幣を渡しチケットを受け取っていると、警官 が近づいてきた。
「ちょっとチケットを見せてくれ」
警官は僕たちからチケットを受け取ると、ダフ屋に「ここを動くな」と言った。偽物なのか。あるいは彼らから買うことが違法なのか。
しばらくして警官は戻ってくると、ダフ屋にチケットをつきつけた。
「彼らに金を戻せ」
男は渋っていたが、結局ポケットから紙幣を出し、警官に渡した。僕たちが戸惑って いると、警官は紙幣と、別のチケットを僕たちに渡した。
「これで入れる」
日本から来た観光客がわざわざサントスまで試合を見に来たと思われたのだろうか。 とにかく警官の好意でお金を払わずに、スタジアムに入ることができたのだった。
試合は、ホームのサントスが押し気味に試合を進めたが、決め手に欠けた。このブラ ジル全国選手権で二部降格圏にいるサンカエターノの方が、カウンター狙いの効率的 なサッカーをしていた。
中でもサンカエターノの十番をつけた小さな選手は、スピード、技術があり一際目を 引いた。ただし、サッカーというのは面白いサッカーをしたチームが勝つわけではない。
後半、サントスの日系人選手、ホドリゴ・タバタが頭で得点。その一点をサントスが 守りきって勝利した。
スタジアムの内外で喜ぶ人を見て、サッカーの大陸に戻ってきたことを実感した。


サントスのホームスタジアム、ビラ・ベルメーリョにて。


 

 

 

2006年10月26日


今日で十二日間に渡ったキューバ取材も終わる。毎日朝早くから夜遅くまでキューバの街を歩き回った濃密な時間だった。 僕がいつも思うのは、仕事として訪れるのと、半ば仕事でのんびりと滞在するのとは、見える風景が違うということだ。 どちらがいいという問題ではないが、出会う人間も違ってくる。 今回は、前者の部類に入る。レンタカーを使い、駆け足でキューバ全土を回った。 市井の人々に話を聞いた他、ジャーナリストのパスをとっていたので、政府の人間に取材し、話を聞くことでき、かなり集中して取材をした。効率的にキューバの今を把握することができたと思っている。下田の絵はかなりいい。太田さんの写真も熱が入っていた。面白いページになるという手応えがある。 今回は、僕は珍しく多めにシャッターを押した。『週刊ポスト』の紙面では太田さんの素敵な写真を使うことになるが、僕もそのうちにこのwebのフォトギャラリーとして公開しようと思っている。乞うご期待。 この国を去る時、次は、もう一つの視点で見てみたいと思うようになった。キューバの時間の流れに身体を任せて旅することで見える風景もあるだろう。


マレコン通りを本拠地とするビシタクシー(自転車タクシー)の男。
他のビシタクシーとの違いは、ブレーキがないこと、チェーンがかなり伸びていることだ。


 

 

 

2006年10月22日


今回のキューバは、絵描きの下田昌克と小学館の太田真三カメラマンの三人のチームである。下田が絵、太田さんが写真、僕が文章でキューバの今を切り取るという寸法だ。 ハバナに二泊した後、レンタカーを借りて東へ向かった。トリニダーを経て、島の東端のサンチャゴ・デ・クーバに二泊。ヒバラの海を見て、オルギンで一泊。再びトリニダーを経て、ハバナに戻ってきた。 相変わらず、この島はフォトジェニックだった。どこを切り取っても絵になる。人々は写真が好きで、カメラを向けるといい表情を見せる。 太田さん曰く「島のどこでも、ファッション写真を撮ることができる」。 僕は、キューバの美しく、格好の良すぎる写真には食傷気味だ。ファッション写真をこの街で撮るのはあまりに安易。それが、この国の本当の姿とは思えないからだ。僕たち三人がやろうとしたのは、格好よくもリアリティのあるキューバを伝えることだった。 通訳やコーディネーターの人間がいると間接的にしか、キューバの人々の声が伝わらない。僕は、キューバ訛りと戦いながら、なんとか彼らの言葉を理解しようとした。しばらくポルトガル語しか使っていなかったので、出発前の一ヶ月ほど、週に一回スペイン語の個人レッスンを受けていた甲斐があった。キューバの人々はいつものように親切で優しかった。 今回の取材は、僕の古巣である『週刊ポスト』(小学館)のグラビアに掲載されることになる。大いなる矛盾を抱えた楽園の今をうまく伝えられればと思っている。


下田が絵を描いていると自然に人が集まってくる。
「速いね」「そっくりだ」「才能がある」とキューバで大受けだった。


 

 

 

2006年10月15日


本当に長い一日だった。 東京駅から嫌な予感があった。成田エキスプレスの切符を買おうとすると、駅員が「満席で立ち席しかありません」。 普段は新宿から乗っていたのだが、ちょうどいい時間に列車がなく、東京駅まで行くことにしたのだ。 朝八時の列車でどうして混んでいるのだ。こんなことならば、東京駅にたどり着くまで長い距離を歩くのではなかったと胸の中で恨み言を呟きながら、仕方がなく立ったまま、成田空港に向かった。 成田空港も人でごった返していた。ワシントン行きの飛行機のアップグレードを頼んでいたのだが、駄目。エコノミー席も満席だった。片付けなければならない仕事を持ったままの出立であったので、窮屈な体勢で原稿を書くしかなかった。 ワシントン空港に到着。日本人の留学生らしい女の子が入国審査で手間取っていた。その列に回されたのだが、これはまずいと隣の列にさっと割り込んだので、早めに出ることができた。ここまでは良かった。 再入国をしようと、出発ロビーに行くと、長蛇の列−−。 乗り換えの時間は二時間弱。手荷物検査までたどり着いた時には、搭乗時間の十分前になっていた。いつものようにわざわざ、靴を脱いで、X線検査。無事通過−−のはずだったが、係官は僕の荷物を手に取るともう一度機械に通した。 「鞄を見させてもらう」 「どうぞ」 搭乗時間が近づいているので、僕は急いで鞄を開けた。 係官は鞄の中をかき回すと、「これは何だ」とコンタクトレンズの保存液を取り出した。 「コンタクトレンズのためのものだ」 「それにしては大きすぎる」 「数日の旅じゃないんだ。それくらいは必要になる」 結局、その場で廃棄となった。 成田空港でジェルなどは持ち込めないという説明は受けていた。しかし、コンタクトレンズの保存液まで捨てることはないだろう。 数年前、アメリカ合衆国が外国人の入国に、指紋採取を義務づけた。ブラジルはそれに対して、“アメリカ人だけ”入国に指紋採取を義務づけた。国際法には相互主義というものがある。外交・通商関係において、相手国の自国に対する待遇と同等の待遇を与えるということだ。相互主義に則った、ブラジルの毅然とした態度に快哉を叫んだのは僕だけでないだろう。 繰り返すが、今回僕はアメリカなど訪れる気はない(この国に魅力を感じない)。トランジットで立ち寄らなければならないだけだ。それにも関わらず、こんな扱い。日本もアメリカ人に対しては、厄介な指紋押捺を義務づけ、一切の液体物の持ち込みを禁止したらどうか。それが独立国同士の付き合いというものだ。もちろん、アメリカに従属している今の日本国政府には無理だろうが。 話を戻そう。 ワシントンからカンクンに到着した。カンクンに来るのは、97年ぶりになる。もう九年も前のことだ。当時改築していた空港は新しくなっていた。以前と違って、空港で働く人たちが英語を使っていたところに、九年の月日を感じた。 リゾート地らしい、落ち着きのない空港で五時間以上の待ち時間をつぶすことになった。飛行機の出発は遅れ、キューバのハバナに着いた時には、24時になろうとしていた。僕が成田エキスプレスに乗ってから三十時間が経っていた。僕にとって、今日、十月十五日は四十時間近くあったことになる。


翌日のハバナ。


 

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