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  田崎健太Kenta Tazaki......tazaki@liberdade.com
1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部など を経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを 手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス3 0年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)。最新刊は 、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)。4月末に『辺境遊記』(絵・下 田昌克 英治出版)を上梓。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。愛車は、カワサキZ1。
  2007.........2006..>>12 > 11 > 10 > 9 > 8 > 7 > 6 > 5 > 4 > 3 > 2.> 1..........2005

 

 

2006年12月24日


昨日からハンドボールの全日本総合大会を取材するために、名古屋に来ている。
昨日行われた準決勝は、大同特殊鋼対トヨタ紡績、大崎電気対トヨタ車体の対戦だった。
会場となった愛知県立体育館は大相撲なども行われる場所であるが、観客は半分も入っていなかった。学生服などが目立ち、正規の切符を買って入った有料観客数はかなり少ないだろう。サッカーで言うならば天皇杯のような大会であるが、寂しい客の入りだった。
コートの中はさらに寒かった。
トヨタ紡績には、中畠や村上など最近代表に招集されている若い選手に期待していたのだが……力の差がありすぎた。
コートの中で輝いているのは、大同のペクとイという二人の韓国人選手(もちろん末松や高木も悪くはないが)。
続く大崎と車体の試合では、車体の元代表の野村広明や、アジア大会に出場していた門山のプレーを見るのを楽しみにしていた。序盤は拮抗していたが、車体に退場者が出たあたりから地力の差が見えた。大崎のディフェンスを崩すことができず、ミスを連発した。そして、こちらも前半終わりには退屈な試合となっていた。二つとも、準決勝の試合とは思えない、冷えた内容だった。

アジア大会で日本代表は六位。試合は中東で行われたため、またもやおかしな審判の笛もあったと聞いている。ただ…予選リーグで肝心な試合だった韓国戦は、そうではなかったらしい。その試合で勝ちきれなかった。これまでと同じように、大切な試合で力を発揮することができなかった。それもこの総合の試合を見れば、納得できる。
レベルが低い上に、執念も感じられない。
僕が知る限り、フランスのリーグ戦はもっと激しい。格下の相手もそれなりの戦い方をして、虎視眈々と勝利を狙っている。
日本リーグのチーム数を増やしたことも原因の一つかもしれない。力の差がある相手と試合をしたところで緊張感がなく、成長はない。

田場裕也が実質引退して、現在代表クラスで国外のリーグでプレーしている選手はいなくなった。
水準の高い欧州のクラブでプレーする日本人がいないのは、企業スポーツであり続けることを求めるチーム側なのか、あるいは「海外移籍」という“夢”を語りながら、ぬるま湯にいることを本当は心地よく感じている選手たちなのか、僕には分からない。
はっきりしていることは、日本リーグのレベルは低く、日本代表も弱いことだ。
来年九月、豊田市で五輪予選が行われる。
当面のアジア枠は一つ。
少なくとも韓国にはまた勝てないだろう。相変わらず日本リーグで最良の選手は韓国人選手ペクである。
ペクが望めば、欧州移籍は可能だったろう。実際興味を示しているクラブがあったことは聞いている。彼にとっては、当たりの激しく怪我の可能性もある欧州リーグに再び移籍するよりも、“ぬるま湯”の中で牙を研ぐ方が賢明な選択だったのかもしれない。
劇的な変化がなければ、予選を日本で開催することに成功したにもかかわらず、隣国韓国代表の選手たちが両手を挙げて喜ぶ結果になるのだろう。 それは本当に屈辱だ。


決勝の後の体育館。沢山のサンタクロース嬢たち。
クリスマスイブに決勝を行う感覚は僕には理解できない。
関係者は、そこまで観客に足を運ばせる魅力があると信じているのだろうか。


 

 

 

2006年12月18日


目が覚めると昼過ぎになっていた。頭が少し痛む。当たり前だ、昨日はかなり飲んだ。帰りのタクシーの中から見た風景はすっかり明るかったことを思い出した。 昨日は、荒木町ハッピークラブのライブだった。 メンバー全員に動員力があり、客が入りきらない可能性が高かったので、僕から知り合いに積極的に声を掛けることをしなかった。会場となった荒木町の「オブラディ」には五十人近くの客が入っていた。その中には、僕の友人である、ハンドボールのアズマ選手や絵描きの下田昌克たちがいた。 僕たちメンバーは、控え室となっていた「鳥こう」でワインをあおってから、ステージに上がった。 演奏した曲は、ベンチャーズの『パイプライン』、ビートルズの『I saw her standing there』、キャロルの『涙のテディボーイ』、、クリームの『Sunshine of your love』、頭脳警察の『コミック雑誌はいらない』。 人前でギターを弾くのは十年ぶり、何度かミスをしたような気もするが、ステージの上に昇ってからの記憶は朧気だ。楽しかったことだけを覚えている。


荒木町ハッピークラブのオフィシャルカメラマン、二石トモキ氏撮影。


 

 

 

2006年12月5日


いつものことだが、長期出張から戻ると、原稿、打合せに忙殺される。その合間、先月30日には、静岡FCが出場している地域リーグ全国大会を見るために高知に日帰り出張。その他、千葉や都内で取材も入っていた。時差ぼけで朝早く目が覚めることは好都合だった。
そんな中、今月17日にライブをする“荒木町ハッピークラブ”(AHC)の写真撮影をした。ライブをするのは僕にとって十年ぶりぐらいになる。
AHCは飲み屋での馬鹿話から始まって、気がついた時にはスタジオの予約が入っていた。
メンバーは四人。ギターは、荒木町の“チャック・ベリー”こと、ジュンさん。焼き鳥の名店『鳥こう』の店主である。ドラムはトシさん。トシさんの店『夢風船』の押し寿司は本当に旨い。押し寿司の好きな僕は時折ここのサバ寿司が無性に食べたくなる。ベースは、僕の行きつけのバーの一つ『オブラディ』で働くモッコ。
練習の時間よりも、練習後の中華料理屋や居酒屋で飲んでいる時間の方が長いという正統派のロックンロール・バンドである。みんなかつてはまじめに音楽をやっていたので、それぞれブランクはあったが、割合早めに音はまとまった。
ただし。
僕は、五週間もの国外出張の間、一切ギターを弾かなかったのでかなり焦っている。
ポスターの撮影を含めたアートディレクションを、僕が最も信頼している写真家の一人である二石トモキさん(http://www.futaishi.com/)に頼んだ。本当に贅沢なことである。演奏は、まだまだであるが、ポスターは最高のものになった。



 

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