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昨日、雨の東京を出て、飛行機で沖縄へ。沖縄の空は青く、晴れている。沖縄は雨が多いというが、僕は帰る日に多少降られたことがあるぐらいで、ほとんど晴れている。
今回の沖縄入りの目的は、浦添市で行われた田場裕也のハンドボールスクールを取材するためだ。
このことについては、後日書くことにする。
さて。
今日、起きるとブラジルの友人から、元ブラジル代表主将のドゥンガがブラジル代表監督になったというメールが入っていた。
ドゥンガには何度も話を聞いている。
2004年には彼が生まれ故郷、ブラジル南部のポルトアレグレまで足を運んだ。彼は『ドゥンガ財団』を作り、貧民街の少年たちに教育や食事を与えるというボランティア活動をしている。
かつて、ペレの時代、サッカー選手は金銭的にはそれほど恵まれていなかった。そんな中で将来のことを考えず、周りに持ち上げられて、手にした多くない金を全て使いきり、惨めな第二の人生を送った選手も少なくない。
ドゥンガはサッカーが巨大な産業として確立した後の選手ということもあるだろうが、現役の時に貯めた資金を使って不動産経営をしている。その上で世界を飛び回り、財団の資金を集めている。
彼は、しっかりと根を生やして、綺麗事ではなく、実際に行動を起こしているのだ(『VS.』05年04月号にその時のルポルタージュを書いている。興味のある人は探して読んで欲しい)。
ポルトアレグレで三日間の取材を終え、彼は自分の車で空港まで送ってくれた。ドゥンガと別れて空港の中に入ると、ファルカンが歩いていた。
ポルトアレグレ出身の英雄二人に連続して会うなんて、と同行していた写真家の西山幸之氏と顔を見合わせた。
サンパウロに着いて、ロナウジーニョに会えば、ポルトアレグレのもう一人の英雄が揃うことになったのだが、そこまでの偶然は起こらなかった。
今年の三月にもサンパウロの空港そばで彼に話を聞いている。欧州へ仕事で出かける直前の時間をもらい、食事をしながらの取材だった。
彼は紳士的でいつも丁寧に話をしてくれる。闘将という渾名から怖そうな印象を持つ人は多いかもしれないが、普段の彼は明るく優しい。そしてジョークも飛ばす。
「そろそろ監督をやる時期なんじゃないの」
僕が話を振ると、「準備は出来ているよ。ただ、監督というのはピッチの中だけじゃないからね」と彼は答えた。
確かに、ブラジル代表監督という仕事は簡単なものではない。才能が揃っているだけでなく、スポンサーや協会の意向が強く働く。指導力はもちろん、政治力も必要とされる。
困難な道であるだろうが、ドゥンガの新たな挑戦に期待したい。
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