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  田崎健太Kenta Tazaki......tazaki@liberdade.com
1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部など を経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを 手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス3 0年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)。最新刊は 、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)。4月末に『辺境遊記』(絵・下 田昌克 英治出版)を上梓。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。愛車は、カワサキZ1。
  2007.........2006..>>12 > 11 > 10 > 9 > 8 > 7 > 6 > 5 > 4 > 3 > 2.> 1..........2005

 

 

2006年7月25日


昨日、雨の東京を出て、飛行機で沖縄へ。沖縄の空は青く、晴れている。沖縄は雨が多いというが、僕は帰る日に多少降られたことがあるぐらいで、ほとんど晴れている。
今回の沖縄入りの目的は、浦添市で行われた田場裕也のハンドボールスクールを取材するためだ。
このことについては、後日書くことにする。

さて。
今日、起きるとブラジルの友人から、元ブラジル代表主将のドゥンガがブラジル代表監督になったというメールが入っていた。
ドゥンガには何度も話を聞いている。
2004年には彼が生まれ故郷、ブラジル南部のポルトアレグレまで足を運んだ。彼は『ドゥンガ財団』を作り、貧民街の少年たちに教育や食事を与えるというボランティア活動をしている。
かつて、ペレの時代、サッカー選手は金銭的にはそれほど恵まれていなかった。そんな中で将来のことを考えず、周りに持ち上げられて、手にした多くない金を全て使いきり、惨めな第二の人生を送った選手も少なくない。
ドゥンガはサッカーが巨大な産業として確立した後の選手ということもあるだろうが、現役の時に貯めた資金を使って不動産経営をしている。その上で世界を飛び回り、財団の資金を集めている。
彼は、しっかりと根を生やして、綺麗事ではなく、実際に行動を起こしているのだ(『VS.』05年04月号にその時のルポルタージュを書いている。興味のある人は探して読んで欲しい)。
ポルトアレグレで三日間の取材を終え、彼は自分の車で空港まで送ってくれた。ドゥンガと別れて空港の中に入ると、ファルカンが歩いていた。
ポルトアレグレ出身の英雄二人に連続して会うなんて、と同行していた写真家の西山幸之氏と顔を見合わせた。
サンパウロに着いて、ロナウジーニョに会えば、ポルトアレグレのもう一人の英雄が揃うことになったのだが、そこまでの偶然は起こらなかった。

今年の三月にもサンパウロの空港そばで彼に話を聞いている。欧州へ仕事で出かける直前の時間をもらい、食事をしながらの取材だった。
彼は紳士的でいつも丁寧に話をしてくれる。闘将という渾名から怖そうな印象を持つ人は多いかもしれないが、普段の彼は明るく優しい。そしてジョークも飛ばす。
「そろそろ監督をやる時期なんじゃないの」
僕が話を振ると、「準備は出来ているよ。ただ、監督というのはピッチの中だけじゃないからね」と彼は答えた。
確かに、ブラジル代表監督という仕事は簡単なものではない。才能が揃っているだけでなく、スポンサーや協会の意向が強く働く。指導力はもちろん、政治力も必要とされる。
困難な道であるだろうが、ドゥンガの新たな挑戦に期待したい。


ポルトアレグレの貧民街にて。


 

 

 

2006年7月18日


この季節は本当に苦手だ。南仏のように暑くとも、湿気がなければ、日陰にいればいい。しかし、日本の梅雨の暑さは特別だ。湿度でうんざりとしてくるのだ。
さて。
今日発売の産経新聞の大阪版の夕刊で新連載が始まった。
これは僕の書いている方では、軽いものに入る。遠藤周作氏の「孤狸庵先生」もの、といえば格好良すぎるか。世界の笑えるサッカーニュースを翻訳して、コラムにしたものだ。残念ながら、大阪版の独自企画なので、他の地方では読めない。
また、来月発売の『dancyu』(プレジデント社)では沖縄料理のコラムを書いている。
この取材のため、都内の沖縄料理を色々と食べてきた。予想以上にヘビーだった。
どうしてダンチュウと首を傾げる人もいるだろう。理由は簡単、『PRESIDENT』の担当だったE氏が、ダンチュウへ異動になったからである。ダンチュウは昔からの愛読誌であるが、仕事をすることになるとは思わなかった。

かつて、スポーツライターの永谷脩氏が僕にこんなことを言ったことがある。
「書き手には、猫型と犬型がある。猫が家につくように、猫型は雑誌や出版社につく。人が変わろうとその場所で仕事をし続ける。逆に、犬型の書き手の場合は編集者につく」
僕も永谷さんも「犬型」である。気心の知れた編集者といい仕事をしたい。雑誌や出版社の名前ではないのである。彼らがどこかに移れば、またそこで仕事をすればいい。

残念なことに、『VS.』(光文社)が今月号で廃刊となった。雑誌はすでに先月号を休刊しており、今月号が最後となる。
バーサスに関しては、創刊前から声を掛けてもらったこともあり、様々な記事を書いてきた。サッカーの他、ハンドボールやモータースポーツなど様々な分野を取材させてもらい感謝している。休刊という措置については、意見もあるがここでは書かない。
バーサスで担当してくれた、K氏やH氏とまた別の場所で仕事が出来ればと思っている。


新宿の沖縄スナックにて。


 

 

 

2006年7月7日


しばらく更新していなかった。ドイツに行くことも考えたのだが、単行本のプロモーション等があるので断念していた。しかし、結果的に試合についての原稿を書かなくてはならなくなり、朝方までテレビを見ることになる。これならば行った方が良かった−−と思う日々である。
さて、さて。
紹介するのを忘れていたのだが、先月二十日に講談社から『マラドーナ THE LEGEND OF DIEGO MARADONA「神の手」知られざるその素顔』というDVDブックが発売されている。
これは、プラカールという南米最大のサッカー雑誌が発売しているDVDに、小冊子をつけたものだ。これには企画から参加しており、昨年秋から進めてきた。
僕はDVDの字幕及び、小冊子の翻訳をしている。
小冊子は、プラカールのマラドーナに関する記事を翻訳している。プラカールは僕の愛読誌である。かつては友人に毎週日本まで送ってもらっていたほどだ。今も、行く度に別冊を含めて何冊も買い込んでくる。
ブラジル人の視点で見たマラドーナは、ひと味違う。DVDは良く出来ているが、小冊子も楽しめると思う。
マラドーナは僕にとって特別な存在である。今となっては信じられないが、かつて国外のサッカーを見ることができたのは「ダイヤモンドサッカー」という番組だけだった。ただ、僕の住んでいた地域ではその番組を見ることができず、『イレブン』という雑誌をなめるように読んでプレーを想像するしかなかった。
それが変わったのは、82年のワールドカップだった。NHKが深夜に大会を中継を始めたのだ。小柄でずんぐりむっくりしたアルゼンチン人に僕は魅了された。そして、貯めていた小遣いをはたいて、マラドーナモデルのサッカーシューズを買った。今から考えれば、サッカーが産業として確立しはじめた時期であり、僕はそれに感化されていたのだ。


 
 


 

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