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  田崎健太Kenta Tazaki......tazaki@liberdade.com
1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部など を経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを 手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス3 0年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)。最新刊は 、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)。4月末に『辺境遊記』(絵・下 田昌克 英治出版)を上梓。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。愛車は、カワサキZ1。
  2007.........2006..>>12 > 11 > 10 > 9 > 8 > 7 > 6 > 5 > 4 > 3 > 2.> 1..........2005

 

 

2006年3月27日


パリを出た昨日、夏時間が始まり、時計を一時間進めなければならなかった。北半球もこれから暖かくなる。
今日、無事に日本に帰国した。また原稿書き等で缶詰の生活が待っている。ブラジルで撮ってきた写真を見ながら、暖かい太陽を思い出すことにしよう。
撮ってきた写真を見ると、圧倒的にリオ・デ・ジャネイロの写真が多いことに気がつく。実際はサンパウロの方が長く滞在していたのだが。
サンパウロは商業都市でフォトジェニックではない。一方、リオはどこを撮っても絵になる。リオに行く度に、いつかこの街にゆっくりと滞在したいと思う。時間を掛けて街の写真を撮り、文章で切り取れば面白い作品ができるはずだ。しかし、いつもサンパウロを中心に慌ただしく仕事をして、すぐに去っていくのだ。


コパカバーナにて。
ブラジルで良く言われること。
「日本人男性は胸が好き、ブラジル人はお尻が好き、イタリア人は脚が好き」
僕はブラジル人に同意する。


 

 

 

2006年3月25日


当初の予定ではバルセロナを経由して(トランジットでリスボンとフランクフルトを通過)帰国するはずだった。バルセロナでの仕事がなくなったこと、帰国後の体力を考えると経由地をできるだけ減らしたいということもあり、パリ経由の便に変更した。
パリ入りの飛行機を予約すると、偶然、田場裕也選手のウサムニームがシャルルドゴール空港のそばで試合をする日と重なっていた。
田場選手のプレーはもちろんだが、ニームに今季から加入したチュニジア代表のイェケール・メガネムを是非見てみたいと思っていたので、会場まで足を運ぶことにした。
チュニジアはそれまではハンドの強豪国ではなかったが、昨年地元で行われた世界選手権でベスト4に入った。メガネムはその中心選手であり、世界選手権で活躍。現在フランスリーグで最も高い評価を受けている選手の一人である。
ニームはポストの選手が全員怪我で離脱。この試合から新しく加入した選手が入っていたが、明らかにコンビネーション、相互理解が不足しており、安易なミスが目立った。サイドの選手はシュートを外し続け、守備は踏ん張れず、前半途中で十点近く離された。そんな疲れる試合でも、光を見せてくれたのはメガネムだった。
フランスリーグでは守備と攻撃はほとんど分業化されている。その中でメガネムだけが両方をこなしていた。
彼のプレーを見ていると、韓国のペクを思い出した。飛び抜けて速さがあるわけでも、技術があるわけでもないが、存在感がある。決して身長は高くない。ただ骨格がしっかりしており、厚みのある身体のためコートの中では大きく見える。
前半途中から攻撃の場面で田場が登場した。彼が入ることで、攻撃に鋭さが出てきた。
メガネムとのコンビネーションは良く、田場の怪我を考慮したこともあっただろうが、前半からもう少し彼のことを使っていれば、勝てる試合だった。

田場はあくまでも攻撃の切り札として考えられており、出番を絞って使われていた。彼が守備の場面でコートに入ったのは、三点差まで追いついた終盤の数分だけである。守備に力を割いて、全く持ち味が出せなかった先日のアジア予選とは全く違った。
田場本人は守備も出来ると力説するが、やはり彼は攻撃のスペシャリストである。アジア予選では、身体が小さく軽量である彼のところを狙われたことは否めない。
田場、そして宮崎のような速さと勝負強さを持った選手は相手にとって脅威ではある。彼らは、一気にチームの攻撃力を一気に何パーセントかあげることができる。
しかし、肝心なのはチームのベースである。
僕がブラジルに滞在している間に、ハンドボールに日本代表監督が辞任した。次の監督には、攻守に渡る要、ペクやメガネムのような選手をいかに作るのか。それは誰なのか。あるいは、複数の選手で補うのか。それが見えてこないと五輪への道は難しいとニームの試合を見ながら思ったのだ。


試合が行われたポート・コンボー、街外れの壁。
この街のハンドボール専用の体育館で試合が行われた。太鼓を持った応援団が、ニームに激しく野次を飛ばし、僕は肩身が狭かった。順位が上のニームに勝ったことで、ポート・コンボーの人たちは大喜びだった。ニームのキーパー、元フランス代表GKブルーノ・マルチニは試合後、応援団と喧嘩を始めた。熱い男だ。田場によると、彼のこうした喧嘩は珍しくないらしい。普段はベジタリアンで紳士らしいが…。


 

 

 

2006年3月22日


全く、リオでは仕事をするものではない。いい加減なカリオカの約束に振り回されてばかりだ。予定通りに物事が進まないのだ。サンパウロとは大きく違う。

今日はアメリカの練習に出かけた。
「ニホンカラデスカ?」と日本語で声を掛けてきたのは、元ブラジル代表のホベルチだ。彼はロビーニョやジエゴがいた時のサントス、札幌でもプレーしていた。
代表経験がある彼がJ2の札幌に移籍したという報道を見た時、少々驚いたことを覚えている。
「本当はガンバに行くはずだったんだけれど、監督がブラジル人はいらないという話になって、札幌になってしまったんだ」
札幌での生活は楽しかったようだ。
「人も親切だったし、食事も美味しかった。大好きなのはしゃぶしゃぶ…ラーメン! 札幌ラーメンは最高だった。ラーメンが食べたいよ。ススキノに行きたい!」
「女性のいるところに行くんじゃないの?」と僕が返すと「ちがうよ。食事だけだよ」と大笑いした。
選手とこうして気楽に話せるところが、リオのクラブのいいところでもあるのだが…。


「ゲッツ!」とホベルチ。
他にも「なんでだろ〜」を見せてくれた。
「もうその芸人たちは消えたよ」と教えた。彼は「日本ははやり廃りが早い」と少し寂しげだった。


 

 

 

2006年3月19日


今日は元鹿島のジョルジーニョが監督を務めるアメリカというサッカークラブの試合に出かけた。この日は、マラカナンでバスコ・ダ・ガマ対フラメンゴという、リオの人気クラブ同士の試合があった。カリオカの目はマラカナンに向いていたのだが、実際のところ現在行われてるリオ州選手権で優勝に近いのはこのアメリカである。
アメリカとノーボ・イグアスの試合は、バスコの本拠地サンジョノアリオで行われた。試合の二時間前に着くと、プレスの受付はなく門のところで期限の切れた記者証を見せると入ることができた。人が集まっていると思うと、バスコの選手の乗ったバスがこれからマラカナンに出発するのだという。
スタジアムには全く優勝争いをしているチームの試合が行われるという緊張感はなかった。しばらく経ってから現れたラジオ局の人間は「今日はプレス専用の扉は閉まったままだ。売店も開けないんじゃないか」と炎天下の下、ずいぶん回り道をして入ってきたことを呪った。
それほど盛り上がらないのではないかという予想は外れた。アメリカは地味ではあるがリオでは人気のあるクラブだ。ジーコの兄エドゥーもプレーしていた。ロマーリオもこのクラブのファンである。観客席にはロマーリオの父親もいた(本人はバスコに所属しているが、この日は行方不明になっていた。さすがである…)。
日本にいて、ACミランやバルセロナが好きだと熱っぽく語られてもうんざりとするが、こうしたアメリカの熱心なサポーターを見ていると、サッカーというのは大衆に愛されているスポーツだと思う。小遣いを貯めて、アメリカの赤いシャツやチケットを買ってスタジアムに足を運ぶ。裕福そうな人は少ないがスタジアムの彼らは幸せそうだ。
彼らにとって、サッカーはリオの太陽とビールと同じぐらい人生に欠かせないものであるのだろう。アメリカのサポーターは、年季の入った人間が多い。チームの勝ち負け、喜びと悲しみは、彼らの皺に年輪として刻まれているのだ。
試合はアメリカが勝って準決勝に駒を進めた。フラメンゴやバスコ、フルミネンセ、ボタフォゴといったリオのビッグクラブは、このリオ州選手権でことごとく姿を消した。サッカーは金ではない。だから面白い。だから人々はこの単純なスポーツに惹かれるのだ。



 

 

 

2006年3月18日


サンパウロに着いてから、取材と打合せ以外はホテルの部屋に閉じこもって原稿を書いていた。バンコクにも持っていった単行本の原稿が終わっていなかったのだ。今日、ようやく一応書き終えた。書き終わった満足感はなく、本当に一応という感じだ。校了の時に手を入れなければならない。この本については、もう少し後で詳しく書くことにする。
原稿も片付いたので、荷物と資料の大半をサンパウロに置いたまま今日からリオに入ることにした。ブラジルに来る時はサンパウロを拠点にしているが、あくまでも仕事のためである。港町で育った僕は海のある街が好きだ。
海のある街−−リオ・デ・ジャネイロである。
天気のいい時のリオは無敵である。リオは雨が降ると渋滞、氾濫とろくなことがない。天気のいい時に、ビーチにでかければ、それ以上のものはない。強い太陽、美しい海。この街に生まれたカリオカほど幸せな人間はないだろう。色んな街に行ったが、最も美しい街の一つだと思う。その美しい街の中には危険な貧民街もある。それも不思議な魅力の一部なのかもしれない。
人間に例えれば、美人で色気があり……しかし、だらしなかったり、性格に難があるようなものか。そういう女に男は弱いものだ。
今日のリオは素晴らしい晴天だった。歩いているだけで幸せな気分になった。



 

 

 

2006年3月13日


♪きつい旅だぜ。お前に分かるかい。
あのトラベリンバスに揺られて過ごすのは。
若いお前はロックンロールに憧れ、生まれた街を出るというけど。
その日暮らしがどんなものなのか、わかっているのかい♪
(「トラベリングバス」by 矢沢永吉)

サンフランシスコに一泊して、シカゴへ。シカゴで飛行機を乗り継いで、サンパウロに到着した。今日は僕の三十八回目の誕生日である。
トラベリンバスの歌のように走り続ける人生を送っている。サンパウロ滞在中は、取材と原稿執筆で忙しい日々になりそうだ。
今回の取材旅行では、単行本が終わらないので大量の資料を持ち込んでいる。そのため荷物を軽く必要があり、カメラを新しくした。リコーのGR DIGITALである。元々銀塩のGR-1を使っており、単行本『此処ではない何処かへ』の表紙はそれで撮った。描写力があるが、コンパクトカメラなので大げさに見えないところが気に入っていた。KissDigitalを使っていても基本的には広角レンズしか使わないので、GRで十分に間に合うわけである。
僕より先に広山選手がGR DIGITALを買っていた。撮った写真を送ってもらったところ、なかなかいい感じである。トラベリングバスのような移動、東京では仕事部屋に缶詰という日々に鬱屈としていた僕は、インターネットでGR DIGITALを注文した。
最初はちょっとレンズが暗く、写りが平坦かなと思っていたが、慣れてくると非常にいい。ボディビルの会場のような暗い場所での撮影はちょっと辛いが、スナップはこれ一台で全く問題ない。


飛行機の中から。GRレンズは雲を綺麗に写してくれる。


 

 

 

2006年3月11日


成田空港を夕方に出て、サンフランシスコに到着。先月のバンコクもそうだったが、サンフランシスコも久しぶりである。もう十六年前になる。大学生の時に友人と二人で、オートバイでアメリカ大陸を横断した。その時、出発点としたのがサンフランシスコだった。どうしてロスでなくてサンフランシスコだったのか。何か理由があったのだろうが、今ではすっかり忘れてしまった。
サンフランシスコに用事があったわけではない。ブラジルに行く時にアメリカで一泊すると身体が楽になり、着いてからの仕事がはかどる。普段はロスで一泊するのだが知人のボディビルダー山岸秀匡君がサンフランシスコで開かれる大会に参加するので、それを見るために立ち寄ることにしたのだ。山岸君は日本で唯一のプロ・ボディビルダーである。
山岸君を紹介してくれたのは、女子アメフットボーラー鈴木弘子女史。僕が山岸君を絵描きの下田昌克に紹介して、バーサスの「シモダノート」に登場した。今回弘子さんは、山岸君の専属ビデオカメラマン兼運転手として同行していた。
肝心のボディビルの大会である。会場には化粧品なのかプロテインの匂いなのか分からないが甘い香りが漂っていた。観客、出場者の年齢層は高そうに見える。実年齢が高いのか、ビルダーが老けて見えるのかは不明。そして剃った頭の比率が高い。
黒人のビルダーがダンスミュージックに合わせて、筋肉をブレイクダンスのように動かすのはかなり笑った。これぞプロの技。山岸君は日本では図抜けた存在ではあるが、アメリカではそうではない。審査員への見せ方、身体の作り方、コンディション作り、まだまだ学ぶことがあると言った。非常に充実しているようだった
結果は十一位。悪くない。
普段出入りしない場所に行くのも面白いものだ。


前列一番右が山岸君。


 

 

 

2006年3月8日


今日は、国立競技場で行われた、ACL(アジア・チャンピオンズ・リーグ)のヴェルディ対ウルサンの試合に出かけた。
ヴェルディに戻った広山選手は膝の怪我で、J2の開幕戦を欠場していた。ACLの試合には麻酔を打って出るというので駆けつけることにしたのだ。
僕にとって嬉しかったのは、今年ヴェルディにテスト入団した齋藤将基選手も先発メンバーに入っていたことだ。
昨年末、ハンドボールの日本代表を中心とした「チーム善雄」と僕や田場裕也の「チーム裕也」が対戦したことはここに書いた。将基はチーム裕也の一員だった。結果的には、チーム裕也には、ジェフの要田、そして将基と現役Jリーガーが二人もいたことになる(善雄、すまない!)。
将基は要田勇一以上に、ここまで回り道をしている。高校を卒業後、ブラジル留学。帰国したが、Jのクラブには引っかからず地域リーグの静岡FCに入り、中国の二部リーグでもプレーした。一昨年、昨年と再び静岡FC。将基が出ている静岡FCの試合には、何度か足を運んでいる。面白い選手ではあるが、なかなか運に恵まれないと思っていた。
このウルサンとの試合、将基は前半からピッチを駆け回って相手ゴールに何度も近づいた。やはりプレーが荒い(これはフットサルを一緒にやった時も感じたことだ)。ただ、相手に向かっていく姿勢、思い切りの良さ、スピードは、初出場とは思えないほどだった。
広山選手は久しぶりの先発出場だった。前半は二度ほどクロスを挙げただけだったが、後半になると、時に遊びを入れたプレーで相手を翻弄した。怪我の影響で後半途中で交代するまで十分な力をみせてくれた。
試合は零対二で敗れたが、二部リーグのチームと、韓国チャンピオンの試合とは思えないほど力は拮抗していた。まだまだチームとしてはまとまっていないようだが、今年のヴェルディには注目していきたい。


記者会見での齋藤将基選手


 

 

 

2006年3月3日


三月十五日売りの『VS.』(バーサス 光文社)でバンコクでのハンドボールアジア選手権について一ページのコラムを書いている。
バンコクにはバーサスの担当のK氏も足を運んでおり、明らかに買収された審判が吹いたイラン戦を彼は目の当たりにしている。彼はあまりハンドボールを見る機会はなかったが、それでも理不尽さを理解し、怒った。彼は僕より先に日本に戻り、ページを急遽とってくれたのだ。K氏以外の編集部の人間は、本当にこんなでたらめがハンドボールで横行していることをなかなか信じようとしなかった。当然だろう。
「買収」審判について書いているので、是非買って、その感想を編集部に送って欲しい。この号では他に、オートバイのヤマハとバレンティーノ・ロッシのことも書いている。全く勝てなかったヤマハが、ロッシが加わることでどう変わっていったかという原稿である。

帰国してから、選手たち、あるいは協会の人たちとメール、あるいは会って話をしている。少し時間が経ったので、僕なりに現状の問題点を考えるようになった。審判についてはバーサスで書いているので、それ以外のことを中心に書いてみることにする。


1) 精神的な弱さ

大会で準優勝となった韓国は、予選リーグから決勝まで三試合連続して、明らかに買収された審判で戦った。その中の一試合は世界選手権の切符が掛かった準決勝で、彼らは笛に負けず、勝った。決勝は韓国の力が上回りながらも、ひどい笛の連続で体育館全体が韓国を応援するほどだった。試合後、優勝したクウェートにはペットボトルが何本も投げつけられたことは、前に書いた。審判に負けない逞しい韓国の選手と比べると日本の選手は脆弱だった。
フランスのウサム・ニームでプレーしている田場裕也を除くと、日本には本当のプロはいない。契約社員として仕事を免除されている“プロ選手”がいるが、代表での移動費用等は、企業選手と同じように協会ではなく所属企業が負担している。そうした意味では本当のプロ選手とは言えない。それを協会が利用している部分もある。また、選手の側にも現役を終えた後も、その企業に何らかの形で残りたいという下心があることは否定できないだろう。甘えはプロとは遠い場所にある。
 プロとアマというのは、本来はその競技で完全に生活を立てているか、そうでないかの違いである。しかし、精神的なプロとアマもある。レスリングの選手たちは経済的にはアマチュアなのだろうが、メダルを取るような選手の取り組み、心構えは、中途半端なプロ野球選手とは比べものにならない。
本物のプロ選手の構成条件の一つは、肝心なところで力を出すことのできることだと思っている。
審判が操作されたイラン戦、力の差があった中国戦を除けば、肝心な試合は予選リーグ三試合目のカタール戦だった。
この試合は、日本協会の尽力で審判を操作されなかった。
しかし、コートの中の選手はというと…。初戦で買収された審判に最後まで諦めずに戦った彼らを誇りに思ったが……。プロと“自称プロ”の差は遠い。
自分たちで勝手に責任を感じて緊張し、自滅した。簡単に言うならば精神的にあまりに弱く、幼い(残念ながら田場裕也もプロとは言えるプレーではなかった)。
期待しているから敢えて言うのであるが、同じように中心選手として期待された韓国の十一番ペクと日本の十一番を比べると、やはり二位と五位の差はあった。それが現実だ。


2) 代表選考

アジア選手権の日本代表は、本物の日本代表ではなかったというのは、多くの人が感じることだろう。
本来は、日本のトップリーグである、日本リーグで結果を残した選手が代表に選ばれるべきである。そして選手たちは選ばれるように努力を惜しまない。今回の代表はそうではなかった。そもそも僕は協会の強化部が、日本リーグの試合をきちんと視察して、選手の評価を下しているのだろうかと疑っている。その機能が正当に働いていれば、ああいった代表にはならない。

私見であるが、ドイツにいる植松伸之介を一度は代表に呼ぶべきである。ドイツはフランスやスペインと共に欧州の最高峰のリーグである。そこでプレーしているのは田場と植松しかいない。彼は田場とともに、契約書の上で本物のプロである。彼の話を聞きたいと思っている選手も多いだろう。プレーはもちろんだが、彼の経験は代表にいい影響を及ぼすはずだ。


3) サポーター

僕がこのサイトでハンドボールについて色々と書いたので、色んな人からメールをもらっている。ハンドのために何かしたいが、どうしたらいいのだろうかという内容である。
中川と田場は「ハンドのファンはそれほど数は多くないかもしれないけれど熱いんですよ」と言っていた。
僕が今回落胆したのは、バンコクまで応援に来てくれた日本人は(アズマ選手の父、大同の関係者を除く。大同の関係者が応援したのは日本代表だったのか、韓国代表だったのかは不明)、たったの「一組」だったことだ。
僕はインターネットをメディアとして使っているが、それほど信用していない。というのは、無料だからだ。「ハンドボールを応援しています」「宮崎選手を応援しています」というメールを何万通送っても、掲示板に何万回書き込んでも懐は痛まない。

今回の大会は比較的見に行きやすかった大会ではある。バンコクまで格安航空券を使えば数万円で行くことができる。ホテルも数千円でそこそこのところに泊まることは出来る。全部の試合は無理にしても、週末を利用すれば一、二試合を見に来ることはそう難しくなかったろう。
もちろん、それぞれの都合があるだろうし、来なかったから、本当にハンドボールのことを好きでないとは言えない。しかし、「一組」はあんまりだと思った。
サッカーやラグビーには昔から「日本サッカー狂会」のような組織があり、国外まで日本を応援に出かけていた。どうしてそうした組織がハンドにはないのだろう。
大崎電気などは地域密着のクラブを目指しているようだ。しかし、それは表面的に真似ているだけのようにしか思えない。僕が知る限り、みずほ台の商店などで大崎電気の応援グッズやポスターを一度も見かけたことはない。
商店街を一軒一軒、頭を下げて歩いたこともなければ、駅前で切符を“手売り”したことも聞いたことはない。
今回の応援団が「一組」だったことは、企業ぐるみの応援と、ハンドボールをやっている学生(彼らのお小遣いは限られており、国外まで応援に出かけるのは不可能)に頼り切っていたことを端的に表している。もちろん、選手たちは講習会等で地味な活動をしているのだが、どこかピントがぼけている気がする。
サポーターだけではない。
韓国は、大同のカン監督、コルサの監督などが応援に駆けつけていた。準決勝の試合で、あまりにひどい審判に怒り、コートに向かって氷の入った飲み物を投げつけたのは彼らの一人だ。この行為は許されるものではない。ただ、審判たちはそれ以下だった。審判は、試合を止めて、投げた人間を退出させようとした。しかし、彼らの怒りに多少はひるんでいたはずだ。それが結果的には韓国の勝利を後押ししたと僕は思っている。
そうしたプレッシャーを日本は掛けることができなかった。日本リーグの監督、コーチ、誰一人来ていなかった。本当にこのチームは国を代表しているのだろうか。僕は寂しかった。


4) メディア

ハンドボールをメディアがあまり取り上げないのは、マイナースポーツだからではない。ハンドは、ビジネスにならないから取り上げないのだ。ハンドボールのファンというのは、メディアの対象になっていない。
僕が書いているから言うわけではないが、ハンドボールを書いた雑誌は買うべきだ。そしてその感想、反響を編集部に愛読者カードなどで出して欲しい。ハンドを書けば、確実に数千あるいは数万人が買ってくれる。その確信が編集部にあれば、ハンドのことをもっと取り上げることになる。僕のところに来るメールを読むと、インターネットのニュース、ブログなど無料のものしか見ていないという感じのものが多い。それでは出版社の側も僕たちもビジネスにならない。
例えは悪いが、金を使わず2チャンネルで落書きをしているニートが一万人いてもビジネスにならない。それよりもちゃんとお金を使ってくれる百人の会社員を相手にしたいというのは当然だろう(ハンドボールのファンをニートと考えているわけではない。あくまでも例えである)。
メディアとしてはハンドよりも、ちゃんと情報にお金を払う習癖のあるサッカーのサポーターを選ぶ。それは仕方がない。僕たちはそれで食べているのだ。


5) 笛

とにかく、買収されている審判たちを排除しなければならない。これについては、日本ハンドボール協会の働きかけによって、アジア選手権にIHF(国際ハンドボール連盟)の人間が視察に訪れていた。彼らは、アジアで無茶苦茶な試合が横行していることを目に焼き付けただろう。そのフィードバックがどのような形で出てくるか。その結果を待たなければならない。
今回タイは、運営能力がないことがはっきりした。西アジアの国々は、中立国として今後タイを指名してくる可能性は高い。これは飲んではならない。

 


 

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