三月十五日売りの『VS.』(バーサス 光文社)でバンコクでのハンドボールアジア選手権について一ページのコラムを書いている。
バンコクにはバーサスの担当のK氏も足を運んでおり、明らかに買収された審判が吹いたイラン戦を彼は目の当たりにしている。彼はあまりハンドボールを見る機会はなかったが、それでも理不尽さを理解し、怒った。彼は僕より先に日本に戻り、ページを急遽とってくれたのだ。K氏以外の編集部の人間は、本当にこんなでたらめがハンドボールで横行していることをなかなか信じようとしなかった。当然だろう。
「買収」審判について書いているので、是非買って、その感想を編集部に送って欲しい。この号では他に、オートバイのヤマハとバレンティーノ・ロッシのことも書いている。全く勝てなかったヤマハが、ロッシが加わることでどう変わっていったかという原稿である。
帰国してから、選手たち、あるいは協会の人たちとメール、あるいは会って話をしている。少し時間が経ったので、僕なりに現状の問題点を考えるようになった。審判についてはバーサスで書いているので、それ以外のことを中心に書いてみることにする。
1) 精神的な弱さ
大会で準優勝となった韓国は、予選リーグから決勝まで三試合連続して、明らかに買収された審判で戦った。その中の一試合は世界選手権の切符が掛かった準決勝で、彼らは笛に負けず、勝った。決勝は韓国の力が上回りながらも、ひどい笛の連続で体育館全体が韓国を応援するほどだった。試合後、優勝したクウェートにはペットボトルが何本も投げつけられたことは、前に書いた。審判に負けない逞しい韓国の選手と比べると日本の選手は脆弱だった。
フランスのウサム・ニームでプレーしている田場裕也を除くと、日本には本当のプロはいない。契約社員として仕事を免除されている“プロ選手”がいるが、代表での移動費用等は、企業選手と同じように協会ではなく所属企業が負担している。そうした意味では本当のプロ選手とは言えない。それを協会が利用している部分もある。また、選手の側にも現役を終えた後も、その企業に何らかの形で残りたいという下心があることは否定できないだろう。甘えはプロとは遠い場所にある。
プロとアマというのは、本来はその競技で完全に生活を立てているか、そうでないかの違いである。しかし、精神的なプロとアマもある。レスリングの選手たちは経済的にはアマチュアなのだろうが、メダルを取るような選手の取り組み、心構えは、中途半端なプロ野球選手とは比べものにならない。
本物のプロ選手の構成条件の一つは、肝心なところで力を出すことのできることだと思っている。
審判が操作されたイラン戦、力の差があった中国戦を除けば、肝心な試合は予選リーグ三試合目のカタール戦だった。
この試合は、日本協会の尽力で審判を操作されなかった。
しかし、コートの中の選手はというと…。初戦で買収された審判に最後まで諦めずに戦った彼らを誇りに思ったが……。プロと“自称プロ”の差は遠い。
自分たちで勝手に責任を感じて緊張し、自滅した。簡単に言うならば精神的にあまりに弱く、幼い(残念ながら田場裕也もプロとは言えるプレーではなかった)。
期待しているから敢えて言うのであるが、同じように中心選手として期待された韓国の十一番ペクと日本の十一番を比べると、やはり二位と五位の差はあった。それが現実だ。
2) 代表選考
アジア選手権の日本代表は、本物の日本代表ではなかったというのは、多くの人が感じることだろう。
本来は、日本のトップリーグである、日本リーグで結果を残した選手が代表に選ばれるべきである。そして選手たちは選ばれるように努力を惜しまない。今回の代表はそうではなかった。そもそも僕は協会の強化部が、日本リーグの試合をきちんと視察して、選手の評価を下しているのだろうかと疑っている。その機能が正当に働いていれば、ああいった代表にはならない。
私見であるが、ドイツにいる植松伸之介を一度は代表に呼ぶべきである。ドイツはフランスやスペインと共に欧州の最高峰のリーグである。そこでプレーしているのは田場と植松しかいない。彼は田場とともに、契約書の上で本物のプロである。彼の話を聞きたいと思っている選手も多いだろう。プレーはもちろんだが、彼の経験は代表にいい影響を及ぼすはずだ。
3) サポーター
僕がこのサイトでハンドボールについて色々と書いたので、色んな人からメールをもらっている。ハンドのために何かしたいが、どうしたらいいのだろうかという内容である。
中川と田場は「ハンドのファンはそれほど数は多くないかもしれないけれど熱いんですよ」と言っていた。
僕が今回落胆したのは、バンコクまで応援に来てくれた日本人は(アズマ選手の父、大同の関係者を除く。大同の関係者が応援したのは日本代表だったのか、韓国代表だったのかは不明)、たったの「一組」だったことだ。
僕はインターネットをメディアとして使っているが、それほど信用していない。というのは、無料だからだ。「ハンドボールを応援しています」「宮崎選手を応援しています」というメールを何万通送っても、掲示板に何万回書き込んでも懐は痛まない。
今回の大会は比較的見に行きやすかった大会ではある。バンコクまで格安航空券を使えば数万円で行くことができる。ホテルも数千円でそこそこのところに泊まることは出来る。全部の試合は無理にしても、週末を利用すれば一、二試合を見に来ることはそう難しくなかったろう。
もちろん、それぞれの都合があるだろうし、来なかったから、本当にハンドボールのことを好きでないとは言えない。しかし、「一組」はあんまりだと思った。
サッカーやラグビーには昔から「日本サッカー狂会」のような組織があり、国外まで日本を応援に出かけていた。どうしてそうした組織がハンドにはないのだろう。
大崎電気などは地域密着のクラブを目指しているようだ。しかし、それは表面的に真似ているだけのようにしか思えない。僕が知る限り、みずほ台の商店などで大崎電気の応援グッズやポスターを一度も見かけたことはない。
商店街を一軒一軒、頭を下げて歩いたこともなければ、駅前で切符を“手売り”したことも聞いたことはない。
今回の応援団が「一組」だったことは、企業ぐるみの応援と、ハンドボールをやっている学生(彼らのお小遣いは限られており、国外まで応援に出かけるのは不可能)に頼り切っていたことを端的に表している。もちろん、選手たちは講習会等で地味な活動をしているのだが、どこかピントがぼけている気がする。
サポーターだけではない。
韓国は、大同のカン監督、コルサの監督などが応援に駆けつけていた。準決勝の試合で、あまりにひどい審判に怒り、コートに向かって氷の入った飲み物を投げつけたのは彼らの一人だ。この行為は許されるものではない。ただ、審判たちはそれ以下だった。審判は、試合を止めて、投げた人間を退出させようとした。しかし、彼らの怒りに多少はひるんでいたはずだ。それが結果的には韓国の勝利を後押ししたと僕は思っている。
そうしたプレッシャーを日本は掛けることができなかった。日本リーグの監督、コーチ、誰一人来ていなかった。本当にこのチームは国を代表しているのだろうか。僕は寂しかった。
4) メディア
ハンドボールをメディアがあまり取り上げないのは、マイナースポーツだからではない。ハンドは、ビジネスにならないから取り上げないのだ。ハンドボールのファンというのは、メディアの対象になっていない。
僕が書いているから言うわけではないが、ハンドボールを書いた雑誌は買うべきだ。そしてその感想、反響を編集部に愛読者カードなどで出して欲しい。ハンドを書けば、確実に数千あるいは数万人が買ってくれる。その確信が編集部にあれば、ハンドのことをもっと取り上げることになる。僕のところに来るメールを読むと、インターネットのニュース、ブログなど無料のものしか見ていないという感じのものが多い。それでは出版社の側も僕たちもビジネスにならない。
例えは悪いが、金を使わず2チャンネルで落書きをしているニートが一万人いてもビジネスにならない。それよりもちゃんとお金を使ってくれる百人の会社員を相手にしたいというのは当然だろう(ハンドボールのファンをニートと考えているわけではない。あくまでも例えである)。
メディアとしてはハンドよりも、ちゃんと情報にお金を払う習癖のあるサッカーのサポーターを選ぶ。それは仕方がない。僕たちはそれで食べているのだ。
5) 笛
とにかく、買収されている審判たちを排除しなければならない。これについては、日本ハンドボール協会の働きかけによって、アジア選手権にIHF(国際ハンドボール連盟)の人間が視察に訪れていた。彼らは、アジアで無茶苦茶な試合が横行していることを目に焼き付けただろう。そのフィードバックがどのような形で出てくるか。その結果を待たなければならない。
今回タイは、運営能力がないことがはっきりした。西アジアの国々は、中立国として今後タイを指名してくる可能性は高い。これは飲んではならない。
|