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  田崎健太Kenta Tazaki......tazaki@liberdade.com
1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部など を経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを 手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス3 0年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)。最新刊は 、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)。4月末に『辺境遊記』(絵・下 田昌克 英治出版)を上梓。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。愛車は、カワサキZ1。
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2005年10月29日


ロスに一泊、ワシントンを経由して昨日サンパウロに着いた。
今年でブラジルに来るのは三回目である。毎年のことではあるが、長い時間飛行機に乗っているものだと思う。
サンパウロに着いた朝九時過ぎは、太陽が照って昼過ぎまでは、夏の湿った暖かい空気だった。しかし、午後になると文字通り、天井が抜けたように強い雨が降り始め、気温は一気に下がった。
南半球のブラジルは、夏に向かって気温が昇っていくはずだと思っていたので拍子抜けである。こちらに住む友人に尋ねるとこうした雨の天気が一ヶ月も続いているのだと言った。
さて。
今日はサンパウロから山を越えて、海沿いのサントスに向かった。サントスに向かうのは以前は山道しかなかったが、道が整備されたため、かなり近く感じる。かつて移民を乗せた列車は、鉄の綱を前にひっかけて引っ張り上げながら昇った勾配のきつい坂は相変わらずで、坂の上では濃霧が前をふさぎ、前の車の赤く光るテールランプを頼りにしなければならなかった。
サントスの街の入り口には、魚をかたどった大きなオブジェがある。海沿いの街で育ち、魚座の僕としては、サントスは親しみが湧く場所であるのだ。

 

サントス名物の魚介類の煮込み。三人で食べても、余るほどだった。メキシコのアカプルコでも同じような料理を食べたことがある。海は人間に多くのものを恵んでくれる。


 

 

 

2005年10月9日


四国の高松に来ている。 『VS.』五月号で書いた、四国アイランドリーグ(IBLJ)のその後を取材するためだ。前回、取材に訪れた三月は、まだキャンプ中でユニフォームも出来ていない状態だった。シーズンが終わろうとしている今はどうなのか−−。 この夜、香川オリーブスタジアムで行われた、香川対徳島の試合には二千人を超える観客が集まっていた。人気のある選手は、決まった方法での応援まであった。 選手を育成する目的の教育リーグでありながら、学校のハンドボール部に動員を掛けているハンドボールの実業団リーグよりも、正規の観客を集めるという意味でまっとうであり、熱気のある観客席だった。 僕がフランスをたびたび訪れるようになって、つくづく感じるのは、地方都市の強さである。モンペリエ、ニーム、都市独特の歴史があり、文化もある。 地方都市では、街から数十分も走れば、人家はなくなり、自然が広がっている。休日は、そうした中で過ごすこともできる。サッカーをしようと思えば街のあちこちに芝のグラウンドがある。応援し、感情移入できる、その街のクラブチームもある。生活の豊かさが全く違うのだ。 日本では、少子化が問題となっている。色々な原因があるだろうが、その一つに「見えざる手」が動いていると思っている。 結婚して子供ができると、それでなくとも狭いアパートがさらに狭くなる。収入に恵まれた人を除けば、多くの人の深層心理には、子供を産むと窮屈な生活をしなければならないという恐怖感がある。特に都心ではそうだろう。 では、地方に住めばその問題は、解決するかというと、日本の高速道路の料金は、狭い国土を有効に活用できないようにしている。また、都市近郊は、カラオケ、コンビニ、パチンコ、無個性なアパート群で埋め尽くされ、それなりの美意識を持った人間にとっては、そこに住むことはあまり気の進まないことだろう。 東京や大阪から多少離れた四国ではこうした均一化の影響は比較的少ない。そうした場所にクラブチームを作ることは、意味がある。 しかし−−。 来年以降、独立リーグに入った選手は、高校生卒業の選手で三年、大学卒業の選手で二年の間は、ドラフト対象選手とならないという「枠」を日本プロ野球実行委員会が作ろうとしている。 元ジャイアンツの元木のように、逆指名するために高卒後“浪人”するような選手を出さないという意図なのだろう。 ただ、IBLJに来ているのは、自分の好きな野球を諦めざる状態に追い込まれた選手ばかりだ。わずかな光明をIBLJに見て、四国まで来ているのだ。彼らの懸命な姿を一度でも見れば、馬鹿な「枠」作りであると分かるはずなのだが……。 そもそも、“浪人”生活を送ってまで入ったジャイアンツで、元木は満足な結果を残したのだろうか。チームにとって、本当に価値のある選手だったのか…。元木自身はジャイアンツに入り、選手をそこで終えたことを満足しているかもしれない。しかし、彼の生き様に憧れる高校生はいないだろう。 とにかく、最初に始めたものには、常に苦難は伴うものである。IBLJが、来年以降も地元に密着した形で続けて欲しいものだと、香川オリーブガイナーズのチームカラーである緑色のメガホンの揺れるスタジアムで思ったのだ。

 


 

 

 

2005年10月5日


大学の講義というのは一人語りの“漫談”のようなものだとつくづく思った。 一昨日、専修大学で講義をしてきたが、反省ばかりだった。昨年に引き続きということで、ある程度は慣れているつもりだった(http://www.liberdade.com/tazaki0405.html)。しかし、一人で話を進めることは難しい…。話をするということで言えば、ラジオ等で慣れている。ただラジオではパーソナリティとの掛け合いであり“漫才”のようである。間があり、その間に考えることができる。会話における瞬発力のようなものはあるのでなんとかなるのだ。 一方、講義というのは一人で話を進めるので勝手が違う。パーティのスピーチ等も苦手であり、そもそも僕は一人で話すことが下手なのだと改めて思った。 一昨日の講義では、早口になってしまい時間が大幅に余ってしまったのだ。まだまだ−−学ぶことは多い。
そんな落ち込んだ気持ちを吹き飛ばしてくれたのは、今日届いたipodnanoである。 黒色の4GBのものを先月注文していた。いつ届くのだろうと心待ちにしていたのだった。携帯音楽プレーヤーとしては僕は一貫して、ウォークマンを使っていた。小学生の時、発売された初代ウォークマンを雑誌で見た時は魔法の箱に思えた。手に入れたのは中学生の時、オートリバースの機能がついたものだったと記憶している。それ以来、CD、MDと形態は変わったが、ウォークマンと何台も買い換えてきた。 ipodが発売された時、少し心が動いた。僕の周りでも、広山選手、絵描きの下田、専修大学の飯田先生がipodを愛用していた。MP3プレーヤーを欲しいと思って、店に足を運んだが、ウォークマンというブランドはすっかり心の動かないものになっていた。わくわくする商品を作ること。物作りの基本精神が感じられないのだ。ソニーが不振だというのも頷ける。そこで僕は三十七才にして、ウォークマンからipodに転んでしまったわけだ。 さて、ipodnanoである。 音質はヘッドホンのせいもあるだろうが、それほどでもない。MP3プレーヤーというのは、音域を削っているので音質を犠牲にしている。いわば音楽のファーストフードのようなものだ。そこで音質をどうこういうのは野暮である。 音楽は生活の一部として気軽に楽しめるもの−−そうした意味でipodnano以上のものはない。マイルス・デイビス、coba、カルトーラ、フェイセズ、モット・ザ・フープル等、お気に入りの音楽をipodに取り込むことにした。

 


 

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