週刊田崎

田崎 健太 Kenta Tazakimail

1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。創作集団『(株)Son-God-Cool』代表取締役社長。愛車は、カワサキZ1。

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200910

2009年10月26日

昨晩遅く、東京に戻ってきた。
金曜日の昼過ぎに、東京を出て、オートバイで御殿場へ。写真家の大澤則昭氏と、六、七年ぶりぐらいに再会。久しぶりに酒を酌み交わした。大澤氏宅に宿泊し、翌朝さらに西へ。
そもそも今回、オートバイで出かけることにしたのは、週末の天気がずっと「晴れ」になっていたからだ。しかし、御殿場は曇り空。東名高速に乗ると、天気はさらに悪くなり、雨が降り出した。
使うことがないだろうと思っていた合羽を荷物から取り出して着ることにした。合羽を着てオートバイを走るのは、何年ぶりだろうか……。外気の暖かさや冷たさ、雨などを感じながら走るところがオートバイのいいところである。車の中、密室にいれば、空気の匂いさえ分からない。
そんな強がりを頭の中で思い浮かべたが、雨の中、オートバイで走るのはあまり気持ちのいいものではない。
しばらく走ると雨は止み、浜名湖のサービスエリアで合羽を脱いだ。ただ、天気は曇ったままだ。ぼくは晴れ男だと自認していたのに、あんまりだ。
豊田インターチェンジで高速を降りて、知立に向かった。知立市の体育館で琉球コラソンとトヨタ車体の試合が行われるのだ。
試合内容については……来月発売の「スポーツイベント」の連載を読んで欲しい。試合には敗れたが、コラソンは試合の質で圧倒していた。キーパーの坪根があれだけ止めなければ、スコアは逆転していた。
これまでぼくが見たコラソンの試合で、一番内容が良かった。
試合終了後、すぐに高速に乗った。再び雨が降り出した……。 いったいどうなっているのだ、天気予報。ずっと晴れマークがついていたではないかと、ヘルメットの中でこぼした。
東名から北陸道に乗り換えて北上した頃には、すっかり日が暮れていた。北陸道は灯りが少なく心細い。そして気温がどんどん下がっていった。福井に着いたとき、すっかり凍えていた。 福井では、北陸電力でプレーする櫛田と再会。翌日、コラソンと北陸電力の試合があるので、早めに引き上げることにした。
北電とコラソンの試合は……こちらも連載を読んで欲しいが、コラソンの圧勝。車体との試合よりもいい試合だった。攻撃的で良質なハンドボールは、北電の関係者でさえも、見ていて面白かったはずだ。特に新加入の東弘起のスピードと技術は圧倒的だった。
大崎のアズマは昨年で引退したが、コラソンに同姓のアズマが帰ってきた(血縁関係はない)。身体は小さいがだいぶ上手い。沖縄にはこんな凄い選手がまだ残っているのだ。こうした選手をすくい取ることができる、コラソンの存在は貴重である。
大崎のアズマのお父さん、通称「ミスター・スーパー・カブ」(あるいは「さすらいのトランペッター」)が愛車で一時間半掛けて、金沢から会いに来てくれた。ドイツでプレーしていた仲井君や、裕也の同級生の保とも久しぶりの再会。
本当は福井か名古屋で一泊しようかと思っていたが、明日の天気予報は雨。一気に東京まで帰ることにした。
来た道を戻る形で、福井→関ヶ原→東京、もしくは、福井→長岡→東京。どちらのルートで帰ろうか悩んでいると、ミスター・スーパー・カブは「絶対に北陸道から関越が早い」という。
信じて北上すると−−寒い!! 日が暮れると一時間走ると三十分休憩しないと走れないほどだった。関越を走っているとき、腕の辺りが寒さでぴりぴりした。久しぶりの感覚だった。この時期の夜、オートバイであの辺りを走るものではない。

カワサキZ1

古いオートバイで何百キロも走って取材に来るのは、ぼくぐらいだろう……。
ブレーキがあまり利かず、ハンドルを絞って上げているこのカワサキZ1は、長距離高速道路を走るのは向いていない。福井の試合のついでに東尋坊の辺りをオートバイで走りたいと思ったのだが…。後から深く後悔した。

2009年10月20日

ここ数日、天気がいい。仕事も一段落したので、オートバイで市原まで行くことにした。
元ジェフの要田勇一がいるパルセイロ長野が全国社会人選手権に出場している。パルセイロは地域リーグで勝ち抜くことができなかったのでこの大会を勝ち抜かなければ、昇格の可能性が消える。
パルセイロの相手は、同じ長野の松本山雅。長野ダービーである。
想像していた以上に観客席は盛り上がっていた。いわば四部リーグのトーナメント戦だが、ハンドボールの実業団よりも熱気があった。無料とはいえ、平日に七〇〇人以上集まっていたのだ。ハンドボールと違って、企業や小中学校のハンドボール部員の動員を掛けていない。駐車場のナンバーをみると、長野近辺が多かった。当たり前のことだが、大人が自分の意志で応援に来ているのだ。
試合の行われる市原臨海競技場は久しぶりだ。勇一がジェフにいた時、以来になる。あの試合で勇一はゴールを決めた。ぼくはいいイメージでスタジアムに向かったのだが……。
試合は― 一対三。
手術で試合から遠ざかっていることもあり、勇一に与えられたのは試合終了の数分。上背のない勇一が、ハイボールを必死で追っても限界がある。前半の試合を支配している時間に、スピードのある勇一を入れていればと思うが……。
夜は東伏見に行き、アズマが特別指導した早稲田大学ハンドボール部の練習を見学。コーチの大城章君が大学院に合格したというので、ぼくたちまで荒木コーチに食事をごちそうになった。朝から動き回ると眠い!!

パラグアイ

専用観客席。勇一がプレーしていたパラグアイ。

2009年10月8日

先週金曜日に何とか、単行本の原稿を終えた。ほとんど寝ないまま、翌日早稲田大学の後期の授業へ。今年から「実践スポーツジャーナリズム演習」というゼミ形式の授業を担当している。色々と面白いことが起こりそうな予感がある。
昨日は台風が近づいている中、軽井沢取材へ。桑名正博さんに話を聞いた後、駅前の寿司屋で食事をしていると最終便を逃してしまった…。結局、桑名邸に一泊することになった
駅に行ってみると、台風の影響で新幹線が遅れていた。多少遅れて大宮駅に到着すると、湘南新宿ラインが止まっていた。仕方がなく、埼京線の各停で新宿に向かう羽目に……。

軽井沢

軽井沢駅にて。軽井沢はすでに寒かった。冬が始まっている