週刊田崎

田崎 健太 Kenta Tazakimail

1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。創作集団『(株)Son-God-Cool』代表取締役社長。愛車は、カワサキZ1。

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200911

2009年11月30日

今日あたりから、「トップスポーツビジネスの最前線2009」(講談社)が本屋に並んでいるようだ。これは早稲田大学の「トップスポーツビジネスの最前線」の昨年の講義をまとめたものだ。「スポーツジャーナリズムを仕事にする」というテーマでぼくが昨年話したことが収録されている。

http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2159716&x=B

他に登壇しているのが、野球の桑田真澄さん、サッカーの風間八宏さん、水泳の平井伯昌コーチ、サニーサイドアップの次原悦子さんと錚々たる顔ぶれである。他の人に対する興味でもいい。気になる人は是非手にとって欲しい。

トップスポーツビジネスの最前線2009

2009年11月11日

昨日は、編集委員を務めている日本体育協会のスポーツ少年団向けの広報誌「スポーツジャスト」の会議。その後、慌ただしく金沢に入った。
今日は、ハンドボールのインカレ決勝。
男子は、三連覇中の日体大と筑波が対戦した。本当は早稲田と日体が対戦するのを見るつもりだったのだが……。
決勝の目当ては、日体の三人、興南高校出身の東長濱秀希、棚原、石川。三人が入ってから、日体はほとんどのタイトルをとり続けている。三人の同級生が負けっ放しの意地を見せるかどうか――。

この三人だけでなく、キーパーの甲斐、信太、生川など能力の高い選手のいる日体の危なげない勝利だった。日体が本気になったのは、恐らく前半の十分程度のみ。日体で選手同士、切磋琢磨するのも訓練になるかもしれないが、本当は他の大学に散らばって敵味方に分かれたほうが、成長に繋がるのではないか。それぐらい圧倒的な力の差があった。
大学生最後の大会としては、少々冷えた残念なものだった。

聞くところによると初日から大会の運営が杜撰だったようだ。地元出身のアズマのトークショーは告知不足、仕切りは最悪。せっかく故郷にわざわざ戻ってきたアズマの気持ちに応えるものではなかった。
会場には、障がい者スポーツの巨大な写真がいくつも飾ってあった。こうした試みは重要であるが、それよりも大会をきちんと運営することのほうがずっと大切だ。商品を売るブースだけが目立つ、不細工な運営だった。

ハンドボール

2009年11月7日

二泊三日で上海出張に行ってきた。
ぼくは前世は中国人かと思うぐらい、中華料理が好きだ。中国に行くときは、中華料理づくし。ところが、今回は……。
着いた日の夕食はお好み焼き、翌朝はパン、昼は豚カツ、夕方は居酒屋。
今朝は、上海の新天地で中華粥を探したが見つからず、チキンハンバーガーになってしまった……。
新天地のカフェでハンバーガーを食べていると、カメラを持った中国人が来ること、来ること。みなニコンやキャノン、あるいはライカの最新型を持っていた。一眼レフを持っている人は、揃ってズーム式のレンズにフード、バッテリーパック(もしくはブースター?)のようなものをつけていた。今日の天気は曇り、フードはいらないだろうし、予備のバッテリーも連写も必要とは思えない。店で勧められるがままに購入したのだろう。
中国人カメラマンの被写体は、子ども。祖父母らしき人間も取り巻き、洋服も着せ替えた。一人っ子政策で子どもたちは大切にされている。
同じような一団がひっきりなしにやってきた。上海のある程度のお金のある人びとは、一眼レフカメラを買い、新天地で子どもの写真を撮るのが流行っているようだ。みんなが教えられたように同じ行動をとっているのは可笑しい。
ただ、同じ行動を取ることでは日本人も笑えない。
南仏から、パリに戻って日本行きの飛行機の列を見ると、不思議な感じがする。南仏でほとんど見ないルイ・ヴィトンなどの高級ブランドのバックを、揃えたように日本人女性が持っているのだ。
フランス人は相当ケチだ。豪邸に住み、ヨットを持っているような人間でもブランドにこだわらない。豪邸に住むマダムでもルイ・ヴィトンを持っていることは少ない。だから、フランスに何週間かいると、若い女の子が同じブランドのバックを守っているのを見ると奇異に感じたのだ。

今回の上海出張の内容については、もう少し後でここに書くことにする。

上海

2009年11月2日

昨日の朝、ぎりぎりまで悩んでいた。東京の空は綺麗に晴れていた。ところが、目的地の山梨は午後から降水確率が60パーセント。
午後三時に、山梨の塩山体育館で琉球コラソンと大同特殊鋼の試合が開催されることになっていた。当初は、うちから目と鼻の先にある外苑入口から首都高、そして中央高速とオートバイで行くつもりだった。
秋の雨は冷たい。雨に降られた場合はそうとう辛いだろう。オートバイに乗る気持ちよさもあるが……。
ぼくも大人になった。昼前まで悩んで、レンタカーを借りることにしたのだ。
首都高から八王子を過ぎると、紅葉の山が見えた。オートバイで走れば気持ちのいい秋晴れだった。塩山までは1時間半も掛からず到着。車を降りると、暖かい空気を感じた。天気予報にだまされたと悔しくなった。
さて。
コラソンと大同の試合。試合結果だけを見るが、残念な試合だった。やはりチャンピオンチームの大同は強かった。
ただ、後半はペクと高木がベンチに下がったこともあり、ほぼ互角だった。
地元出身である、コラソンの水野兄弟を見に来た人たちも試合内容には、満足したのではないだろうか。みなが水野兄弟、及びコラソンを応援しようという気持ちが伝わってきた。いい雰囲気の試合会場だった。
試合終了後、窓の外を見ると、大雨。天気予報は当たっていた……。
試合終了後はすぐに東京に向かうつもりで来たのだが、せっかく車で来たので、コラソンの反省会に参加することにした。
田場裕也を含めて、コラソンの選手と久しぶりに膝をつき合わせて話をした。資金も練習場所もない。ただ、ほかの実業団チームと違って、コラソンはまとまりがある。みんな凄くいい奴なのだ。
結局、気持ちのいい選手たちと話しているうちに、ビールを飲んでしまい、一泊……。眠い目をこすりながら、今朝東京に戻ってきた。

コラソン