週刊田崎

田崎 健太 Kenta Tazakimail

1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(絵・下田昌克 英治出版)。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。創作集団『(株)Son-God-Cool』代表取締役社長。愛車は、カワサキZ1。

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200907

2009年7月24日

先週、沖縄に行っていた。昼過ぎの便で羽田に戻って、冷房の効いた飛行機を降りた瞬間、くらくらした。
那覇よりも東京はずっと暑いのだ。
翌日、前期最後の大学の授業。慌ただしかった三ヶ月を終え、授業の後に開かれた懇親会で飲んだ酒が身体に染みた。
今週は「W杯ビジネス30年戦争」の文庫化のための追加取材が始まった。三年前にこの本を書いた時、最後の最後まで追い込まれ、校了しながら入稿するような状況だった。
その後の別の取材で発見もあった。ブラジルで過去の新聞をあたり、資料もさらに集まった。たんなる文庫化ではなく、加筆し、いい本にしたいと思っている。今年は、机の前で苦闘する夏になりそうだ。

ジーコ

25日発売の「Sportiva」に元日本代表監督ジーコのルポルタージュを書いている。六月にモスクワに行き、ジーコに取材したものである。かつて、僕のインタビューで彼は「ドイツW杯には腐ったミカンがいた」と語り、話題になった。そのことにも今回は少し触れている。

2009年7月4日

相変わらず、通常の〆切や単行本企画、文庫化などで、忙しくしている。原稿を書くよりも雑事が多いのが悩みではあるのだが。
さて。
今日は、大崎電気の東俊介と一緒に早稲田大学のハンドボール部の練習に顔を出してきた。
ハンドボールの取材をしているが、シャンソン研究会の僕にとっては、母校のハンドボール部は遠い存在だった。 僕のスポーツジャーナリズムの授業をハンドボール部のO君が取っていることもあり、アズマを誘っ て見学に行くことにした。web (http://www.wasedahand.com/top.html)を見ると、男子監督の田畑さ んがなんと同じ東山高校出身だった。僕たちの学校はほとんどが関西

の大学に進学するので、東京に 出てきている人間は数少ない。ハンドボールの世界で出会うとは思わなかった。
同じ高校というだけではないだろうが、田畑さんや、沖縄出身の大城章君、丸山君などハンドボール 部の方々は、僕たちを暖かく迎えてくれた。
練習の後は、早稲田ハンドボール部御用達のべっしゃんに出かけ た。国体予選を終えた、早稲田OBで大崎電気の夏山陽平(アズマの背番号15を引き継いだ)たちが合 流。楽しい時間はすぐに過ぎるもので、僕は終電を逃してしまった…。
在学中からつい最近まで早稲田卒ということをほとんど意識しなかった。最近は、規模の大きな大学 であり、色々な人との共通項となるのは楽しいと思うようになった。
これは年をとったせいなのだろうか…。

モスクワ

先月のモスクワの写真をもう一枚。