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  田崎健太Kenta Tazaki......tazaki@liberdade.com
1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部など を経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを 手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス3 0年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)。最新刊は 、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)。4月末に『辺境遊記』(絵・下 田昌克 英治出版)を上梓。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。愛車は、カワサキZ1。
  2008.........2007..>>12.> 11.> 10.> 9.> 8.> 7.> 6.> 5.> 4.> 3.> 2.> 1..........2006

 

 

2007年2月28日


イスタンブールからフランクフルトを経由して、無事 に日本に到着。
今回は、ジェームズ・エルロイの文庫本を何冊かスー ツケースに放り込んでいた。彼の本を飛行機の中で読 んでいると、マニュ・チャオの『Welcome to Tijuana(ようこそ、ティファナへ)』が頭の中で鳴っ ていた。
ご存じのように、マニュ・チャオの歌詞は、スペイン 語、ポルトガル語、フランス語、英語が入り交じって いる。
この曲のリフレインはこうだ。
「Welcome to Tijuana, Tequila ,Sexo y Mariguana 」
カーニバルの熱からまだ覚めないのかもしれない。こ れじゃまるで、怠け者のカリオカだ。


リオの庶民のための海岸、ピッシナオン・デ・ハモス にて。


 

 

 

2007年2月26日


夏のサンパウロから、ポルトガル航空(TAP ブラ ジル風に読むならばタッピ)に乗った。客室乗務員は ポルトガル人で、ブラジルとは違う、なよなよしたポ ルトガル語を話していた。飛行機で大西洋を越えて、 冬のリスボン(ポルトガル風に読むならばリシュボア) へ。飛行機を乗り換えてパリで一泊。
一昨日の深夜、ミュンヘンを経由してトルコの首都イ スタンブールに到着した。
イスタンブールは、アジアと欧州が出会う場所である 。大きな橋で欧州側とアジア側に別れている。街灯の 中に、大きなモスクが見えた。イスラムの国に来たの だということを実感した。
アジア側のホテルに宿をとっており、到着した翌日周りを散策してみた。バグダッド通りには、高級ブラン ドの店舗が建ち並び、道ばたにはフェラーリやメルセ デスのスポーツカーが止めてあった。
トルコというと混沌とした、インドのような街を思い浮かべていたが、全く違っていた。歩く人は様々な色 の服を着こなしており、欧州のポルトガルよりもずっ と裕福そうに見えた。モスク、歩いている女性が少な いことを除けば、そこにアジアの匂いはほとんど感じ られない。
少し郊外に行くと、高層ビルがいくつも建設中だった 。EU加入をにらんで、富が集まっているようだった 。
そして、物価が高いことに驚いた。日本円が弱くなっ ていることもあるが、体感する物価はパリと変わらない。

この国のフェネルバフチェという名門クラブで指揮を執るジーコと久しぶりの再会を果たした。
僕は一ヶ月近くブラジルに滞在し、カーニバルを取材してきたと言うと、
「この野郎、俺がカーニバルにいるかもしれない、探しに行ってくると出版社を騙して、お前はリオで遊んでいたんだろう!」
ジーコは悔しそうにと両手をあげた。
「二日とも見に行ったのか? うちのベージャ・フロ ールが優勝したんだよな」
イスタンブールでもカーニバルの余韻を引きずった まま、明日の飛行機で日本に帰国する。


フェネルバフチェのスタジアム。見た目は立派だが、風が通らないので芝はツギハギでピッチの状態はかなり悪い。
「うちのようにきちんとボールを繋ぐチームはここでは辛いんだ」
と案内してくれたジーコは嘆いた。


 

 

 

2007年2月20日


エスコーラ・ジ・サンバの一部リーグのカーニバルは二日間。
二日目の月曜日最後に登場したのは名門チーム、ベージャ・フロール。彼らの行進が終わったのは朝の六時過ぎになっていた。終了してしばらくすると、太陽が昇り、コルコバードの丘のキリスト像が朝日に照らされていた。
五年前に来た時と、今回は印象がずいぶん違った。以前は、あまりに急速に商業化しすぎているような気がしたのだ。今回、その流れはもっと進んでいるのは間違いない。ただ、行進から伝わる熱気は、五年前とは比べものにならないように思った。もしかして、エスコーラ・ジ・サンバ、街のあちこちのカーニバルに足を運び、リオの空気を一杯に吸い込んでいて、自分たちが変化しているのかもしれない。
カメラマンの太田さんは、びっしょりと汗をかきながら行進の中でシャッターを押し、僕と下田は側道で踊っていた。とにかく楽しかった。これだけの刺激、興奮はなかなかないと思う。まさに明日は“灰の水曜日”だ。


このリオのカーニバルのグラビア記事が掲載されている『週刊ポスト』は三月五日発売。是非、この熱気を感じて欲しい。
紙面では太田さんの素晴らしい写真を見てもらうことにして、ここでは僕の写真を一枚。ジーコも大好きなベージャ・フロールの女の子。


 

 

 

2007年2月18日


この時期、街のあちこちでカーニバルを見かけることができる。
今日は、アントニオ・カルロス・ジョビンの名曲『イパネマの娘』の舞台であるイパネマ海岸を封鎖して、人々が踊りながら練り歩いていた。気温は三十五度、歩いているだけで汗が噴き出てくる。


『イパネマの娘』ではなくて、『イパネマのカマちゃん』からの熱いキス。


 

 

 

2007年2月17日


あまり知られていないことかもしれないが、リオのカーニバルはコンテストである。サッカーのリーグと同じように一部、二部とランク分けされている。今日は二部のカーニバルがある。会場となるサンボドロモの近くの道は封鎖され、山車が登場を待っている。


 


 

 

 

2007年2月14日


月曜日からリオに来ている。今週末からカーニバルが始まるのだ。
昨日火曜日に、東京から絵描きの下田昌克とカメラマンの太田真三氏が到着。キューバの時と同じように、『週刊ポスト』のグラビアで、写真と絵と文章で、リオのカーニバルを描くことになっている。詳しい掲載日時は決まり次第、ここに書くつもりだ。
リオのカーニバルには2002年に来ている。分かっていることは、この取材は体力勝負だということだ。これから一週間近く、リオの街を走り回ることになる。


エスコーラ・ジ・サンバ(サンバチーム)、『ポルテーラ』の練習場にて。


 

 

 

2007年2月8日


昨晩から降り出した雨は、朝になっても止まなかった。今朝は朝七時から、ジョッキークラブへ、馬の練習を見に行った。
先日の“全敗”は研究不足だったという反省もある。 この日は、昼から打合せ等でサンパウロ市内を移動しなければならなかった。雨は夜まで降り続け、サンパウロの街は一日中渋滞していた。


ジョッキークラブにて。


 

 

 

2007年2月3日


友人の写真家カイサワベ氏の見解によると、寒い時期に生まれた人間は暖かい場所を好み、暑い時期に生まれた人間は寒い場所を好むのだという。
サワベ氏の見解をすべて正しいとは思わないが、僕に関しては当たっている。寒いところが昔から苦手だ。

寒い東京を抜け出して、夏のブラジルに滞在することは、僕にとって悪くない選択である。日本を出てくる時には、そうした下心があったことも否定しない。
ただ、ブラジルで仕事をすることは、往々にして、精神衛生上良くない。
天気はいいが、心の晴れない日々が続いていた。
今日は土曜日、知人から誘われて、気晴らしに競馬に出かけることにした。
サンパウロのジョッキークラブは百年以上の歴史を持つ。社交クラブとしての意味合いを持っている。人種差別の比較的ないブラジルではあるが、食事をしながら競馬を見ている客の中に、黒人はもちろん混血の人もいなかった。
僕は日本ではほとんど馬券を買うことはない。カイピリーニャを飲みながら、久しぶりに買ってみたが……、何度か惜しい馬券が続いたものの、一度も当たらなかった。
厄落としのようなものだと割り切ることにした。


厩舎にて。


 

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