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  田崎健太Kenta Tazaki......tazaki@liberdade.com
1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部など を経て、1999年末に退社。サッカー、ハンドボール、野球などスポーツを中心にノンフィクションを 手がける。 著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス3 0年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日−スポーツビジネス下克上−』 (学研新書)。最新刊は 、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)。4月末に『辺境遊記』(絵・下 田昌克 英治出版)を上梓。 早稲田大学非常勤講師として『スポーツジャーナリズム論』を担当。早稲田大学スポーツ産業研究所 客員研究員。日本体育協会発行『SPORTS JUST』編集委員。愛車は、カワサキZ1。
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2007年11月30日


90年に僕が訪れたカルカッタ(現コルカタ)やバラナシと、ムンバイが違うのは海があることだ。
海と言ってもキューバの美しい海とは比べものにはならない。漁師の村では浜辺で人々がしゃがみ込んで用を足していたり、塵が投げ捨てられておりと相当汚い。それでも海があると街の雰囲気がずいぶんと違う。やはり僕は海のある街が好きだ。
相変わらず清潔とは言えない国ではあるが、魅力的な国であることも間違いない。
残念ながら、明日の飛行機で日本に向かうことになる。



 

 

 

2007年11月29日


日曜日のライブ当日は当然朝までだったが、その三日前から荒木町で飲み続けていた。ライブは僕たちにとって年に一度の祭りのようなもので、前夜祭が存在していたのだ。
そうした生活で、身体が弱っていたのだろう、昨日は少し休んでしまった。
今日からは復活して、再び街に出ることにした。
インドの料理はそれぞれの味が個性を主張していて、濃い。街には、様々な顔つきの人、日本では仮装行列でしか見られない服装の人、乞食から差し出される手、執拗な物売りの声、派手な看板や衣装など様々な色の洪水、そして香辛料の匂い−−。
この国は五感を刺激し、対峙するには体力が必要だ。
カメラを向けると人々は素敵な笑顔を見せてくれる。残念なのは、道を歩いている人のほとんどが男性であることだが。
「この国に来るとみんながカメラマンになれると勘違いするんだよね」
とは下田昌克画伯の言葉。下田はこれまで数多くの写真家志望からインドの写真を見せられてきてうんざりしているのだという。
普段にこやかな画伯だが、たまに辛辣な言葉を吐く。それは非常に的確だ。
確かに、この国でカメラを構えたら、それなりの写真は撮れるだろう。ただ、プロ(フリーランス)としてやっていくことは、それとは全く別だ。
もちろん、才能の中には、過剰な自信が必ず含まれているものだ。みなに否定されながらも諦めない逞しさが実は一番必要だということを、下田は良く分かっている。



 

 

 

2007年11月27日


前にも書いたが、インドを訪れるのは90年以来、実に17年ぶりとなる。昨日、飛行機のタラップを踏んだ瞬間から、鼻腔に触れた空気に、香辛料が織り込まれているような、懐かしい感覚がよみがえった。
今回も、「週刊ポスト」の取材で、絵描きの下田昌克とカメラの太田真三さんと三人で、急激に発展するインドの商業都市、ムンバイの街を走り回ることになる。
今朝−−。
道を埋め尽くすタクシー、鳴り響くクラクション。相変わらずパワーのある国である。



 

 

 

2007年11月26日


昨日、銀座のタクトで荒木町ハッピークラブのラスト・ライブをやった。
演奏前に映像を流したり、ステージの後ろに巨大なバナーを掛けたり……とても素人バンドては思えない演出を皆が作り上げてくれた。
特にmieちゃんが作ってくれた映像は、何かの機会に使おうとずっと考えていたモット・ザ・フープルの「サタデーギグズ」の音楽と相まって、原稿を書いた僕の予想を超えた素晴らしいものになっていた。
昨年のライブで演奏した、「パイプライン」「涙のテディボーイ」「コミック雑誌はいらない」などの他、今回は僕の作った「荒木町ブギ」というオリジナル曲などを加えた。ミスもあったが、来てくれたお客さんや同じ出演者の方々に盛り上げてもらって、楽しく演奏することができた。
色んな人に助けられて、楽しく生きさせてもらっているとつくづく思った。
ライブの後、四谷三丁目に戻って打ち上げ。そのままオブラディ、バックボーンと流れて、家に戻ったのは朝の五時過ぎになっていた。
荷物をとって新宿から成田エキスプレスに乗った。目が覚めると成田空港。朝九時半の飛行機でインドのムンバイへ向かった。


ポスターでは使用しなかった写真。
ライブの写真も二石さんに頼んだ。しばらくしたらここに載せようと思っている。


 

 

 

2007年11月3日


いつものことであるが、小笠原から戻ると、仕事が溜まっており、仕事に追われていた。そんな合間を縫って、今日はハンドボールの日本リーグ、大崎電気対トヨタ車体の試合を見るために三郷まで出かけてきた。
九月に開幕した日本リーグの関東での今季最初の試合である。
日本のメディアが東京に集中しているというのに、関東では試合がなかった。また、いつものことだが、日本リーグの試合は交通の不便な場所で開催される。関東といっても、都心から向かうには、車やオートバイがなければ、三郷はかなり不便な場所にある。さらに体育館は駅から離れている。そして土足厳禁。見る人のことを最優先しているとは思えない。
そもそも、大崎のホーム試合ではあるが、大崎のあるみずほ台と三郷は同じ埼玉県ではあるが、相当の距離がある。
会場の中は、昨季より熱気が薄れているように思えた。宮崎大輔が、筋肉番付でスポーツマンナンバーワンになったことで、昨年は観客(各地の協会が動員した中高校のハンドボール部の生徒以外の観客)が集まった。しかし、そうした客は減っているようだった。
コートの中はさらに寒かった。
五輪予選の後で気が抜けていたとのかもしれない。もちろん、永島英明のように五輪の悔しさを生かしている選手、あるいは望月孝太郎のようにひたむきなプレーが好感を与える選手はいた。
ただ−−。
欧州のトップ水準のリーグ、あるいは厳しい国際試合では絶対に決まらないであろう場所から、シュートが次々と決まった。強いディフェンスのいない国に強いオフェンスは生まれない。この水準の試合を繰り返したとしても、ある一定以上の能力ある選手にとって成長はなく、肝心の国際舞台で活躍できる選手は生まれてこないだろう。
お目当てだった東俊介は後半の最後だけの出場だった。僕は試合が終わると、すぐに会場を後にして、オートバイに跨った。11月の冷たい空気から、痛切に冬を感じた。


11月25日の『荒木町ハッピークラブ』ライブの別バージョンのポスター。
会場の銀座タクトは100人以上収容できるが、すでにチケットが足りなくなりつつある。
購入していただける方は、早目の連絡を!


 

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